豪商の屋敷が立ち並ぶ今井町

公開日 : 2018年11月29日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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今回は、奈良県橿原市にあります今井町を解説。

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この1650年に建築の今西家住宅を筆頭に、町内の民家およそ760軒のうち8割近くが江戸時代から残る「伝統的建造物」で、そのうち9件12棟が国の重要文化財、3件11棟が県文化財に指定されるなど、町全体が「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

また2015年度下半期放送のNHK連続テレビ小説「あさが来た」のロケ地としても使われ、ヒロインのご実家も「今井」さんだったこともあり、一躍有名になりました。

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今井町が都市的に発展したのは、本願寺の道場である称念寺(しょうねんじ)を建立して以来のことで、町並の整った寺内町(じないちょう)が成立しました。寺内町といいますのは、浄土真宗などの仏教寺院を中心に形成された自治集落のことで、環濠や土塁で囲まれるなど防御的性格も兼ね備えていたため持ち、信者や、商工業者などが集住している町のことを言います。

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このときの形態は、外敵の侵入と民の自治を守るために、郷の周辺に堀を巡らし、土塁を設けた環濠集落でありました。その地形や街路の形状などは、当時のまま残されています。現在の町並みを見わたしても、町の端から端まで通り抜けられる道はなく、入口で屈曲あるいは途中でT字型に組んで見通しのきかないように配備されています。

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称念寺は浄土真宗(一向宗)であり織田信長と対立していましたが、圧倒的な武力の前に降伏することとなりました。しかし後に赦免状が与えられて信長と和睦をむすぶなど、他の一向宗寺内町の扱いとは別格で寛大な扱いを受けていたようです。東西600m、南北310mの長方形の地形には、戸数1100軒、人口4000数百人という財力豊かな町で、自治都市として海の堺・陸の今井と並び称されるほど栄えていたそうです。

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しかし徳川幕府第四代将軍・徳川家綱によって事実上自衛権を剥奪されて、幕府の直轄領(いわゆる天領)となり、約100年間続いた自治都市制度は終焉してしまいました。とはいえ、その後も豊田家や今西家など豪商の力は代官所を凌ぐほどで、幕府も一目置くほどでした。とくに元禄年間には「大和の金は今井に七分」「金の虫干し玄関まで」とまで言われていたそうですから、さぞかし凄かったことでしょうね。

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こちらの今井まちなみ交流センター華甍(はないらか)もまた、1903年に建てられた非常に味わい深い建物で、現在は今井町のすべてが分かる資料館として使用されています。両翼が広がるさまは、宇治の平等院鳳凰堂にもよく似ていますね。

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昔ながらの醤油屋さんや酒屋さんはもちろん、レストランやお洒落なカフェなどもありますし、奈良町にくらべて混雑もなく、ゆっくりとタイムスリップを楽しんで頂ける場所だと思います。

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