よい願いも悪い願いもかなう?スリランカの聖地、カタラガマを歩く
2023.7.26
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執筆者:島田 俊子
イギリスの大学院で社会開発を学んだあと、青年海外協力隊を経て、1999年からアイ・シー・ネットに勤務。入社以来、社会開発やガバナンス分野の調査、技術協力のほか、ODAの事業評価案件に多数従事。
東ヒマラヤ山脈にある、九州ほどの大きさの国土に約78.2万人が住むブータン。コロナ禍を経て2024年10年ぶりに訪問したブータンでの見聞きした、変わりゆくもの変わらないものをお伝えします。
短期の評価の仕事で初めてブータンを訪れたのは2003年。日本からの直行便はなく、バンコクからブータン国旗の龍が描かれたドゥルックエアー(ロイヤルブータン航空)に乗り継いで4時間30分。
天気がよければヒマラヤ山脈が一望できるはずでしたが、分厚い雲に覆われて見られないまま、深い山々の谷間にあるパロ空港に降り立ちました。秘境に降り立った感がある小さな国際空港パロから、首都ティンプーを目指しました。
事前に聞いていたとおり、パロ空港周辺のみまっすぐな道路があり、それ以外はクネクネの山道です。車窓からは伝統的な建築様式の民家や、りんごの木々や小さな畑、風になびくチベット仏教の白い経文旗や五色の祈祷旗、マニ車やチョルテン(仏塔)。そして着物に似た伝統的な民族衣装(男性用:ゴ、女性用:キラ)を着る人々。それらの光景を見ていると、同じ地球の違う時代に迷い込んだような不思議な感覚でした。
到着後、すぐに食べる機会を得たブータン料理の「エマ・ダツィ」もこれまた記憶に残る辛さです。周辺の南アジア諸国にあるカレー料理とは一線を画し、名前の通り、エマ(トウガラシ)&ダツィ(チーズ)の煮込み料理です。「ブータン人にとってトウガラシは野菜ですから」と軽く説明されたのですが、その辛さに圧倒されました。たまにジャガイモやキノコが入っているのでこれは大丈夫かと思いきや、辛さは同じです。本当に激辛です。
異国情緒があふれていると感じるのは、こうしたブータンの衣食住に加え、公定料金制度(※1)があったため観光客の数が限られていることや、伝統と文化を大切にするお国柄の影響もあると思いました。
1 外国人観光客は1泊200~250USドル(車、運転手、宿泊、食事、ガイドの費用が含まれる)を支払い、ブータンの旅行会社のパッケージツアーへ参加するかたちでしかビザが発給されなかった。2022年に廃止され、現在は持続可能な開発費として、インドを除く海外の観光客は1泊あたりUS100ドル支払う必要がある。
市井の人々との会話も、筆者が当時よく仕事をしていたネパールやバングラデシュとはだいぶ異なりました。プロジェクト車の運転手さんが、移動中しきりにブータン政府のある省庁の大臣の人柄や功績に触れ、「農民のために政治を行う本当にすばらしい政治家だ」と嬉しそうにおしゃべりしてくれたのがとても新鮮でした。上述した国の運転手さんたちが話す、「政治家は自分たちのことばかり考えている」、「庶民の生活はよくならない」と愚痴と嘆き全開の内容とは真逆で驚きました。
数年後、4代国王が現国王への譲位宣言をし、国民総生産(GDP)より精神的な豊かさを重視する国民総幸福量(GNH)の話や、「幸せの国」としてブータンが日本で紹介されることが増えましたが、この運転手さんの話もどこか幸せの国ブータンらしいなと感じていました。一緒に地方に出張することになった若手行政官にブータンで苦労することを当時聞いたところ、「ティンプーは狭くてプライバシーがないことですかね。こうして外国人のあなたと話していたことも明日には多くの人が知るでしょう!」と。当時、確か全人口が70万人に満たなかったので、納得の回答でした。「海外留学に興味がありますが、留学できるのは一部の競争を勝ち抜いた行政官だけで、年功序列もあります」とも話していたので、その点は他の国とそう変わらないのだなと思ったものでした。
その後も何度か短期出張でブータンに行きましたが、昨年10年ぶりに再びブータンを訪れて変わりゆくブータンを目の当たりにしました。最も驚いたのは、行政官だけでなく多くの若者が留学や就職のためオーストラリアなど海外を目指して国を離れているというのです。
2018年から2023年の間に約1万4000人が出国し、8年間で約5万人が出国したという報道もありました(※2)。
ガラーンとしたオフィスでシニアの行政官が、部下の大半が好待遇を求めて次々と留学している現状を嘆かれていたのには衝撃を受けました。また、今回お世話になった運転手さんの妹さんたちや親戚の皆さんも海外で働いているとのことで、「新型コロナ以降経済が悪化し、若者の就職機会がないから仕方ないです。私みたいなものだけが残ります」とやや自嘲気味に説明してくれました。人口流出はブータンのような人口の少ない国にとっては大打撃ではと思いつつも、生きていくための選択をしているのだと思うとそれ以上質問できませんでした。
2 国営日刊紙 Kunselonlin
人の流出と入れ替えに新しいモノの流入も増えていることを実感しました。街にはおしゃれなカフェができ、韓国コスメのお店やアジア諸国でもみかける「MINISO」もできていました。一方、ティンプーのランドマークである時計塔や手信号で交通整理を行う有名な交差点、無防備に寝ている犬、老舗の洋食屋(The Season’s Restaurant)、お寺でマニ車を回しながら祈る人々など、20年経っても変わらぬ風景もありました。
そんな変わりつつあるブータンですが、お土産についても昔ながらの伝統的なもの、新しく生産されたものなどさまざまあります。
まずは昔からある定番ものをご紹介します。布の小物入れやかごなどの雑貨は手ごろなのでおすすめです。Tシャツは国旗柄のほかクールな柄もあります。図柄が豊富な切手は、収集家の間では非常に有名なお土産らしいです。
新しいお土産として、コーヒー豆や以前は瓶でしか売られていなかったハチミツ、ヘーゼルナッツとチョコペーストが売られていました。ほかには岩塩(「海がないブータンのどこでとれるのですか?」と聞いてもお店の方もわからないという謎めいたもの)もかわいいパッケージ入りで売っていました。
駆け足でご紹介しましたが、異国情緒あふれる南アジアの国、ブータンはいかがでしたか。なかなか訪れるにはハードルの高い国ではありますが、もしブータンへ訪問する機会やブータンという国・文化に触れる機会がありましたら、ぜひ自分だけのディープな魅力を見つけていただきたいです。
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