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【岡山・津山】日本唯一無二の箔合紙(はくあいし)「津山箔合紙(横野和紙)」

mami

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岡山特派員

更新日
2025年7月20日
公開日
2025年7月20日

こんにちは~。岡山特派員のmamiです。
前回は横野滝をご紹介しましたが、その続きで見つけにくい「一の滝」と、近くにある手漉き和紙の原料を作る産業水車、そして上横野地域で古くから生産されてきたミツマタを原料とする高級和紙、津山箔合紙(つやまはくあいし)をご紹介します。

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一の滝

「二の滝」の駐車場から500mほど下流にあるという事はわかっていましたが、車で2往復しても見つけられず、車を降りて清流沿いを探していると、木々や葛に覆われた「一の滝」という看板を見つけることができました。

8㍍ほどの落差といいますが、少し深い渓谷になっており川に降りることはできないので、まともに見られるのは、上のなだらかな勾配の滝の部分のみでした。
写真の下方から一気に落差があります。

「一の滝」は県道沿いにあるのでアクセスが良いのですが、道路幅が車一台分しかないので、「二の滝」の駐車場から歩くのが安全です。

上横野の製紙水車

この県道沿いには、和紙を作るための製紙水車があったことを思い出しました。
上横野を含む美作地方はミツマタを原料とした手漉き和紙の生産が盛んで、その歴史は奈良時代にまで遡ります。欽明天皇十六年(555)に吉備五郡(いまの津山北部)に白猪屯倉(しらいのみやけ)がおかれ、戸籍がつくられました。戸籍や田籍をつくるのに紙が造られはじめたといわれます。
昭和30年代までは、ほとんどの家が紙に関する仕事に携わっていたそうですが、今は一軒を残すだけになっています。

ありました。水輪はこの建物の裏を流れる川側についているので、一見、水車小屋には見えませんね。
それにしても草ぼうぼうで、建物に近づくのもはばかられる状態です。

横野川上流にある堰から取水し、水輪を回し、排水された水は再び横野川にもどされます。
15年ほど前に来たときは、水車は現役で活躍していましたが、まさか最後の一軒も廃業されたのかと脳裏をかすめました。しかし、調べたところ今も和紙を製紙されていて安心しました。
「上田手漉和紙工場」といい、横野川沿いに工場があります。日曜日は休日で閉まっていましたが、ここは全国でたった一軒だけになった「箔合紙(はくあいし)」を生産する手漉き和紙の工場です。

津山箔合紙(はくあいし)とは

「箔合紙」というのは、金箔と金箔の間に一枚ずつ保護のために挟む和紙です。
京都や金沢の金箔工芸にとっては、なくてはならない和紙です。金箔を使った後も捨てられることはなく、「あぶら取り紙」として販売されているので、京都や金沢のお土産に買い求めたことのある方も多いと思います。
薄さ、こしの強さ、手触り、すべてに優れ需要も高いそうで、今は海外の古文書の修復や銅版画の印刷にも用いられると聞きます。

昭和56年に、その技術の高さと歴史から郷土伝統的工芸品として岡山県から指定され「津山箔合紙」とも呼ばれています。

最後に

滝と手漉き和紙の水車小屋の風景で終わるはずでしたが、水車小屋が荒れていたことから、いろいろと調べていくと「箔合紙」という金箔工芸には欠かせない和紙が日本中、いえ世界中でもここ一軒だけという事実に唖然としました。

私の友人にも上横野出身者がいらして、やはり祖父の代までは手漉き和紙の製紙をしていたそうです。
和紙を製紙するためには、ミツマタを蒸し、皮をはぐ等、いくつもの工程を経て原料を作り、和紙を漉いた後も板に貼り付け、乾燥させ…と多くの工程があるそうです。機械化の難しい技術も含まれ、職人一人で成り立つことは難しく、家族も協力して成り立つ家内制手工業と聞きました。そんなところも、減少の一途をたどる原因の一つでしょうか。

「上田手漉和紙工場」では土曜日に手漉き和紙の体験会をしているというので、機会があれば参加し、いろんなお話を伺ってみたいと思いました。

住  所   〒708-0801 岡山県津山市上横野1874
公式サイト 上田手漉和紙工場
交通アクセス(車)  中国自動車道津山IC・院庄ICから約30分

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