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遠い時代を思う醍醐の桜。

Akio

Akio

京都特派員

更新日
2014年4月4日
公開日
2014年4月4日
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前ぺージからの続きです。

慶長3年(1598年)3月15日。

伏見城から醍醐寺に向けて、華やかで長い行列は出発したそうです。

それは、総勢千三百名からなる日本史上最大の花見行列。

輿に乗った太閤秀吉を中心に、前方には前田利家、福島正則ら

大名に義演僧正、そして秀吉の後には秀頼、北政所、淀殿などが続きます。

醍醐寺の門には、両側に菊の紋。

中に五三の桐家紋が見えます。

天下人・豊臣秀吉さんの栄華も浮かんで来ます。

慶長3年(1598年)に行われた「醍醐の花見」の華やかさは、

満開の時期に合わせた桜が、山道に七百本植えられ、更に道中には

華やかな茶屋が建ち並んだそうです。

今の時代にも伝わる「醍醐の花見」。

この、お花見が有名なのは、秀吉さんの最晩年(62歳)に行われた

「花見の宴」であり、その約半年後に旅立たれています。

辞世の句は・・・・

「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」

その後、豊臣政権は徳川家康により政権を奪われ

豊臣家は滅ぼされました。

豊臣政権にとって「醍醐の花見」は、夏の夜空に

ラストに打ち上がる 大輪の花火の様な

華やかな催しだったのかも知れません。

醍醐寺に咲く桜、約千本の中でも

霊宝館前の大枝垂桜は見事です。

この桜を見に醍醐寺を訪れる人も多いと思います。

近くで見ると、この迫力。

枝の幅は25mを超える、とても大きな枝垂れ桜。

名前は、「太閤深雪桜」。

推定樹齢約200年とも言われます。

カメラでは収まりきらない、圧倒的な存在感。

醍醐寺は、秀吉さんのお花見の宴から、桜で有名な寺院になりました。

416年前に行われた、一日限定の花見。

「醍醐の花見」の言葉からは、桜を通じて

秀吉さんとその時代が浮かんで来ます。

秀吉さんが亡くなった後、豊臣の家臣達は全国各地に

素晴らしい桜を残したとも伝わっています。

《醍醐寺》〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22

〇アクセス 京都駅からJR東海道線または琵琶湖線「山科」(乗継ぎ)

地下鉄東西線「醍醐」下車

三条京阪から地下鉄東西線「醍醐」下車

三条京阪から京阪バス86B系統「醍醐三宝院」下車

〇駐車場 普通車(約100台収容) 700円

※花見シーズンは殆ど満車になります。

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