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伏見城です。咲き始めた桜が綺麗です。
伏見城と言いますと、豊臣秀吉さん。
秀吉さんの行った日本史上最大の花見・・・『醍醐の花見』が浮かんで来ます。
慶長3年3月15日(1598年)醍醐の花見の日、伏見城から醍醐寺に向けて、
長い長い行列は出発しました
それは、総勢千三百名からの花見大行列でした。
総勢千三百名の花見行列は、秀吉さんの近親の者を初めとし、諸大名から
その配下の者など、約四キロの大行列でした。
伏見城から醍醐寺です。
五三の桐が、桜の中に 浮かび上がっています。
醍醐寺 京都市伏見区醍醐醍醐山
◎ 大人 600円、中学生・高校生 300円
2館共通券 大人1000円、中学生・高校生 500円
3館共通券 大人1500円、中学生・高校生 750円
◎ JR京都駅からJR山科駅まで約5分。
地下鉄東西線に乗り換え、醍醐駅まで約7分。徒歩10分
醍醐寺には約1.000本の桜があります。
寺院全体の桜は、これから咲き始めの感じでした。
二年前のNHK総合テレビでは、『桜の木に恋して』~日本人と桜の物語~と言う番組で、
秀吉さんが行った「醍醐の花見」が再現ドラマとして放映されていました。
千三百人からの お花見・・・・参加した女性の衣装代だけでも
現代のお金に換算すると39億円。。驚きのお花見です。
女性各一人に 新調した着物三枚、進呈だったそうです。
天下人・豊臣秀吉さんの「醍醐の花見」は、空前の大イベントでした。
当時、満開の時期に合わせた桜が山道に、七百本植えられ、
更に道中には 華やかな茶屋が建ち並んでいたそうです。
近しい人や諸大名、そして配下の人達等 総勢千三百人からの お花見・・
『醍醐の花見』は、秀吉さん最後の宴だったのでしょうか。
この花見で詠まれた秀吉さんの句は、
『名もしらぬ さくらは寺を あらわして いつか忘れん 花のおもかげ』
「醍醐の花見」 秀吉さん 六十二歳でした。
翌年、秀吉さんは病に伏し 跡継ぎの豊臣秀頼を頼むと
家康や利家に言い残しながら、伏見城にて亡くなっています。
辞世の句は・・・・
「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」
醍醐寺に咲く桜、約1,000本の中でも、
霊宝館前の早咲きの大枝垂桜は見事です。
近くで見ると、この迫力。
溢れるばかりの桜の花。
今年も醍醐の桜は、カメラでは収まりきらない
圧倒的な存在感で 咲いていました。
醍醐寺は、秀吉さんの お花見の宴から、桜で有名な寺院になりました。
「醍醐の花見」という言葉からは、秀吉さんと その時代が浮かんで来ます。
秀吉さんが亡くなった後、豊臣の家臣達は全国各地に
素晴らしい桜を残したとも伝わっています。