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御所の近くにある 新島旧邸に行って来ました。
ここは、同志社の創立者、新島襄さんと妻・八重さんの私邸です。
新島旧邸一般公開 (無料)
◎2012年9月~2013年12月まで(毎週火曜日閉館)
見学申込:個人・団体ともインターネットによる予約申込制
(同志社大学ホームページの「新島八重と同志社特設サイト」から予約)
※ インターネットが使えない場合はFAXでの申し込み。
FAXでの申込みは一週間前までに送付してください
同志社大学 同志社社史資料センター FAX:075-251-3055
新島旧邸は、1878年に建てられた木造二階建ての和風建築で、
洋風建築の手法も取り入れられた建物です。
新島八重さんと言いますと、NHK大河ドラマ「八重の桜」ですね。
新島旧邸を訪ねながら 八重さんの歩まれた道を思いました。
八重さんの生涯は、三つの時代に分けて考える事が出来るそうです。
会津若松に生まれ育ち(旧姓・山本八重) 戊辰(ぼしん)戦争で洋式銃を持って
戦いぬいた娘時代。
戊辰戦争では、断髪・男装で銃を持ち新政府軍を相手に奮戦。
「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれたそうです。
時が移り、兄の覚馬を頼って京都に出て新島襄さんと結婚。
洋装のクリスチャン・レディとして過された時代。
そして 襄さんが亡くなられた後、静かに自適の生活を送りながらも、
日清・日露戦争の時は、篤志(とくし)看護婦として救護活動に奔走された晩年があります。
幕末から明治・大正・昭和初期の時代を、エネルギッシュに生きた新島八重さん。
強い意志の人で「元祖ハンサムウーマン」とも呼ばれたそうです。
新島旧邸は 和と洋の文化と共に、おしゃれな部屋テクの美しい建物でした。
新島八重さんの 言葉。
「どんなに波が荒く強くても、心の岩は決して動きません。」
「元気の良い方というのは、感じの良いものです。」
「自分がいくら不機嫌だからといって、自分の怒りにまかせて他人を怒る、などということは
許されません。 」
「人間は傲慢であってはいけません。」
新島八重さんは、20代後半から亡くなられるまでの 約60年間を京都で過ごされ
教育者としての道を歩まれています。
2013年2月・・新島旧邸に咲いた赤い山茶花が綺麗です。
(2月お題"新生活の参考に◯◯で見つけたおしゃれな部屋テク")
※ 同志社女子大学HPから 写真二枚 お借りしています。