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嵐山です。嵐山は、二十日の三船祭りも終わって 新緑の風が吹いていました。
嵐山から竹林の小道へと向かいました。
嵯峨野 竹林の小道です。
竹林の小道は、野宮神社から 大河内山荘まで、竹の生い茂る道が続きます。
竹林には 筍が伸びていました。
嵯峨野は、平安時代から貴族の別荘や庵が開かれていた 土地でした。
竹林の小道は、風が運ぶ竹の香りや 竹林から注ぐ太陽の日差しが感じられます。
竹林の小道から 嵯峨野の道を歩き 祇王寺へと向かいました。
祇王寺は、青もみじと竹林の中に建っています。
祇王寺へは
◎ JR嵯峨嵐山駅から祇王寺へは徒歩約25分。
◎ 京福電鉄嵐山駅から祇王寺へは徒歩約25分。
◎ 阪急電鉄嵐山駅から祇王寺へは徒歩約35分。
◎ 市バス:嵯峨小学校前 下車。徒歩20分。
◎ 拝観時間 AM9時-PM5時
◎ 拝観料 三百円
昼間の時間なのに、夕暮れの様な 深い緑の世界が広がっていました。
祇王寺は、その名の示すとおり、平家物語に登場する白拍子(舞いを踊る人)
が 念仏に専念した尼寺です。
平家全盛の時代、平清盛から 愛されていた 祇王でしたが
清盛の、心変わりを知って・・・・・
『萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか秋に あわではつべき』
の 言葉を残して 母と妹と共に 仏門に入りました。
祇王21歳 妹の祇女19歳 母 45歳の時 だったそうです。
時が過ぎ、この庵に 訪ねて来た女性がいました。
それは祇王の後 清盛から寵愛を 受けていた仏御前でした。
仏御前は 自らの非を 侘びました。
仏御前は 衣を取ると、髪を 落とした 尼の姿でした。
祇王は、その姿に胸を打たれ、仏御前を許し、妹の祇女 母
仏御前と共に、ここで念仏一途の生活に入りました。
仏御前は 17歳だったそうです。
平家物語を語る 琵琶法師の 言葉は
『 祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅雙樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。』
竹林の奥深く・・・・祇王寺には 祇王達の 歩んだ 平家物語がありました。