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祇園白川です。今の時期 綺麗な 白梅が咲いています。
白川沿いには、祇園を こよなく愛した 歌人・吉井勇さんの『かにかくに』の
歌碑があります。
歌碑には 吉井勇さんの詩が 刻まれています。
『かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のながるる』・・・
今年は、吉井勇さんの 没後51年にあたる年です。
51年前・・・吉井さんの訃報に接した馴染みの芸妓さんは 「なんで菊の花に
なっておしまいやしたんえ」と・・・・・
吉井さんの 友人の 谷崎潤一郎さんに 嘆いたそうです。
歌人・吉井 勇さんのプロフィールは・・・・・・・・
1886年 鹿児島藩士 吉井友実の孫として 伯爵家に生まれます。
新詩社に入社。北原白秋、木下杢太郎とともに歌人として 創作活動に励みます。
晩年は、爵位を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったと 言われています。
吉井さんの代表作には・・・・・・
『ゴンドラの唄 』 1915年 (大正4年)
いのち短し 恋せよおとめ 赤き唇あせぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日はないものを
いのち短し 恋せよおとめ いざ手を取りて 彼の船に
いざ萌ゆる頬をきみが頬に ここにはだれも来ぬものを
いのち短し 恋せよ少女 波に漂う 舟の様に
君が柔手を 我が肩に ここには人目も 無いものを
いのち短し 恋せよ少女 黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび 来ぬものを
秋の十一月には 『かくかくに祭』として 祇園甲部の 芸舞妓さんから
歌碑に 白菊の花が 手向けられています。
祇園白川・・・・この日は 白い梅の花が 綺麗でした。
吉井勇さんが 亡くなって51年・・祇園を最も愛し・・祇園から 最も愛された人
それが 歌人 吉井勇さん だったのだと 白川沿いの 歌碑を見て 思いました。