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宮内庁に申し込んだ、修学院離宮に行って来ました。
空は晴天。
1グループ30人程でガイドさんを先頭に離宮を巡って行きます。
修学院離宮は、下離宮・中離宮・上離宮の三つのエリアから
成り立っています。
参観コースは、下離宮から始まり中離宮・上離宮へと歩きます。
三つの離宮を繋ぐ松並木道。
御馬車道と言われています。
この松並木道は何回見ても不思議な道。
盆栽の様に低い松が並木道になっています。
松の樹齢は、350年を越えていると聞きました。
松並木の間から、秋の田園風景が広がっています。
あぜ道に咲く彼岸花が綺麗。
修学院離宮は、後方の比叡山や田園風景が
借景となって広がっています。
修学院離宮は、NHK9月17日放送の歴史秘話ヒストリア
「美しき夫婦の物語 ~後水尾天皇と和子 愛の軌跡~」で
離宮誕生の経緯が紹介されていました。
番組では江戸時代初め、祖父・徳川家康の政略で
後水尾天皇に嫁ぐ事となった和子(まさこ)の姿から始まりました。
そして様々な経緯を経た、晩年・・・
天皇の位を退いた後水尾院は、和子と共に、修学院に壮大な規模の
「離宮」を創る事を考えました。
設計やデザインは、全て後水尾院が手がけ、和子は徳川の姫という立場を使って
幕府に財政支援を懇願しました。
やがて万治2年(1659年)修学院離宮は完成しています。
修学院離宮は 見所の多い庭園ですが
僕が好きな風景は、先ほどの松並木道と上離宮から見る
浴龍池(よくりゅうち)です。
浴龍池は、比叡山麓から流れる谷川を
堰止めて造られた池。
こんな素晴らしい庭園を、336年前に造ったのですから凄いですね。
ここからの景色は、京都の山々や街が低い位置に見えて、
空がとても近い離宮と言う思いになります。
再び歴史秘話ヒストリアに戻りますと、
延宝6年(1678年)、和子は72歳で亡くなりました。
最愛の伴侶、和子の死をいたみ後水尾院は
「かかる時 ぬれぬ袖やは ありそ海の はまの真砂の あめのした人」
と言う歌を残しています。
そして、和子の死から2年後、後水尾院も亡くなりました。
天空に続く離宮。
修学院離宮。
抜ける様な青空が眩しいです。