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天空に続く離宮。修学院離宮。

Akio

Akio

京都特派員

更新日
2014年9月23日
公開日
2014年9月23日
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宮内庁に申し込んだ、修学院離宮に行って来ました。

空は晴天。

1グループ30人程でガイドさんを先頭に離宮を巡って行きます。

修学院離宮は、下離宮・中離宮・上離宮の三つのエリアから

成り立っています。

参観コースは、下離宮から始まり中離宮・上離宮へと歩きます。

三つの離宮を繋ぐ松並木道。

御馬車道と言われています。

この松並木道は何回見ても不思議な道。

盆栽の様に低い松が並木道になっています。

松の樹齢は、350年を越えていると聞きました。

松並木の間から、秋の田園風景が広がっています。

あぜ道に咲く彼岸花が綺麗。

修学院離宮は、後方の比叡山や田園風景が

借景となって広がっています。

修学院離宮は、NHK9月17日放送の歴史秘話ヒストリア

「美しき夫婦の物語 ~後水尾天皇と和子 愛の軌跡~」で

離宮誕生の経緯が紹介されていました。

番組では江戸時代初め、祖父・徳川家康の政略で

後水尾天皇に嫁ぐ事となった和子(まさこ)の姿から始まりました。

そして様々な経緯を経た、晩年・・・

天皇の位を退いた後水尾院は、和子と共に、修学院に壮大な規模の

「離宮」を創る事を考えました。

設計やデザインは、全て後水尾院が手がけ、和子は徳川の姫という立場を使って

幕府に財政支援を懇願しました。

やがて万治2年(1659年)修学院離宮は完成しています。

修学院離宮は 見所の多い庭園ですが

僕が好きな風景は、先ほどの松並木道と上離宮から見る

浴龍池(よくりゅうち)です。

浴龍池は、比叡山麓から流れる谷川を

堰止めて造られた池。

こんな素晴らしい庭園を、336年前に造ったのですから凄いですね。

ここからの景色は、京都の山々や街が低い位置に見えて、

空がとても近い離宮と言う思いになります。

再び歴史秘話ヒストリアに戻りますと、

延宝6年(1678年)、和子は72歳で亡くなりました。

最愛の伴侶、和子の死をいたみ後水尾院は

「かかる時 ぬれぬ袖やは ありそ海の はまの真砂の あめのした人」

と言う歌を残しています。

そして、和子の死から2年後、後水尾院も亡くなりました。

天空に続く離宮。

修学院離宮。

抜ける様な青空が眩しいです。

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