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二年坂から龍馬坂、維新の道を歩いて来ました。
この日も、二年坂には沢山の人。
人の流れは、二年坂から三年坂、
そして清水寺や八坂の塔へと流れています。
沢山の観光の方が歩くニ年坂から、左に曲がると
急に人のいない坂道に入ります。
この坂道は、霊明神社・正法寺へ向かう坂道で龍馬坂と呼ばれています。
二年坂では、あんなに多かった人が、ここには誰もいません。
きっと、この道へは案内板も表示もないので、入って来る人も少ないのでしょうね。
龍馬坂は、竹に覆われた真っ直ぐに続く坂道。
高低差は32m。斜度10度の坂道。
この坂道は慶応3年(1867年)11月18日、海援隊士や陸援隊士らによる
坂本龍馬と中岡慎太郎の葬列が通った「幕末志士葬送の道」。
誰が言うともなく「龍馬坂」と呼ばれるようになりました。
振り返ると八坂の塔が見えます。
龍馬坂の途中からは石畳の階段が続きます。
葬列は、この坂道を通って霊明神社の墓地に運ばれ,
神道様式で葬られたそうです。
坂本龍馬さんと中岡慎太郎さんが、近江屋事件で
亡くなったのは1867年の11月。
坂本龍馬さん31歳。
中岡慎太郎さん29歳。
志士達が夢見た、明治維新はその翌年の1868年10月でした。
龍馬坂を上り、そのまま真っ直ぐに進むと正法寺。
寺院は、観光寺院ではありませんから、
静かな佇まいの中に時が流れています。
境内からは、市内が一望出来ます。
正法寺を降り、右折して少し下がると、
京都霊山護国神社。
ここには、坂本龍馬をはじめ明治維新の誕生につくした
志士達1043名の霊が祀られています。
霊山護国神社に続く道は、維新の道。
維新の道の参道に建つ石碑は、左から木戸孝允、勤皇の志士、
天誅組などの石碑。
維新の道沿いに建つ「翠紅館」。
翠紅館は、文久3年(1863年)に反幕府勢力の各藩志士代表者達による
会議が行われた場所です。
現在は料亭で、この日結婚式が行われていました。
立春は過ぎた京都ですが、まだまだ寒い気温。
二月半ばの、龍馬坂から維新の道でした。
≪龍馬坂≫
○所 京都市東山区清水
○アクセス JR京都駅より市バス206系統で東山安井下車、徒歩5分
二年坂から左に曲る。