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春と言えば。桜。
桜と言えば花見。
京都で花見と言えば醍瑚寺。
1995年の「そうだ 京都、行こう。」では、春の醍醐寺が紹介されていました。
CMの言葉は・・・・・
「あの秀吉が、自慢したくてたまらなかった700本の桜の子孫たちです。
少々の人出には、負けません。」・・・・でした。
この日は、天気も良く最高のお花見日和。
醍醐寺には沢山の人がお参りされていました。
醍醐寺の桜が見頃を迎えています。
醍醐寺の門には、両側に菊の紋。中に五三の桐家紋。
天下人・豊臣秀吉さんの栄華が浮かんで来ます。
醍醐寺の花見と言いますと、豊臣秀吉さんが
慶長3年3月15日(1598年)に行った
日本史上最大のお花見。
『醍醐の花見』が浮かんで来ます。
慶長3年(1598年)3月15日の朝、伏見城から出発した花見行列は
醍醐寺に向けて、動き始めました。
それは、総勢千三百名からの花見行列。
花見行列には、秀吉さんの近親の者を初めとし、諸大名から
その配下の者など・・・・日本史上最大で一日限定と言う大規模な、お花見だったそうです。
数年前のNHK総合テレビの、日本人と桜の物語と言う番組で、
秀吉さんの「醍醐の花見」が再現ドラマとして放映されていました。
総勢千三百人からの、お花見。
参加した女性各一人に、新調した着物三枚進呈。
女性の衣装代だけでも、現代のお金に換算すると39億円に上るとか。
まさしく(^。^)驚きのお花見です。
花見行列では、輿に乗った太閤秀吉を中心に、
前方には前田利家、福島正則ら大名に義演僧正、そして秀吉の後には
秀頼、北政所、淀殿などが続きました。
醍醐寺までの沿道では、花見行列を見る人達でも賑わったそうです。
たった一日の花見の為に、一年かけて準備をして、
盛大に「醍醐の花見」は行われました。
この宴により、それまで貴族の遊びだった「花見」は
これ以降、庶民にひろがったと言われています。
秀吉さんの「醍醐の花見」の華やかさは、
満開の時期に合わせた桜が、山道に七百本植えられ、
更に道中には、華やかな茶屋が建ち並んだそうです。
今は2015年。
秀吉さんの、醍醐の花見から、417年の時を経ても
醍醐寺には圧倒的な桜が咲いています。
秀吉さんの「醍醐の花見」は、秀吉さん最晩年(62歳)に行われました。
そして、その約半年後に旅立たれています。
秀吉さんが亡くなった後、
豊臣の家臣達は全国各地に 素晴らしい桜を
残したと伝わっています。
秀吉さん、辞世の句・・・・
「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」
その後、豊臣政権は徳川家康により政権を奪われ
豊臣家は滅ぼされました。
豊臣政権にとって「醍醐の花見」は、最期の華やかな時だったのかも知れません。
今、醍醐寺に咲く桜は約千本。
中でも霊宝館前の大枝垂桜は見事です。
この桜を見に醍醐寺を訪れる人も多いと思います。
近くで見ると、この迫力。
枝の幅は25mを超える、大きな枝垂れ桜。
まるで天空から鳳凰が舞い降りた様な枝垂れ桜。
名は「太閤深雪桜」。
推定樹齢約200年。
カメラにも収まりきれない圧倒的な存在感。
2015年、醍醐寺の桜。
ここに咲く桜を見ていると、秀吉さんが夢みたお花見は、
今に受け継がれている事を知ります。
《醍醐寺》 〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22
〇三宝院、霊宝館、伽藍、上醍醐各600円 ※2カ所共通券、3カ所共通券あり
〇アクセス 京都駅からJR東海道線または琵琶湖線「山科」(乗継ぎ)
地下鉄東西線「醍醐」下車
三条京阪から地下鉄東西線「醍醐」下車
三条京阪から京阪バス86B系統「醍醐三宝院」下車
〇車 名神高速京都東ICから府道35・36号経由8km20分。または阪神高速山科出入口から15分
〇駐車場 普通車(約100台収容) 700円
※花見シーズンは殆ど満車になります。
※「そうだ 京都、行こう。」の言葉お借りしています。