キーワードで検索
長岡京市の勝龍寺城。
ここは、戦国時代細川家の城でした。
お堀からの眺め。
勝龍寺城は、JR長岡京駅から歩いて10分の距離にあり自由に散策出来ます。
現在のお城は、1992年に公園として整備し再建されて
日本の歴史公園100選にも選ばれています。
勝龍寺城は、天正6年(1578年)に細川忠興・ガラシャ夫妻が
結婚式を挙げ、新婚時代の約三年間を過ごした城。
六月の勝龍寺城。
雨に濡れた、さつきと紫陽花が綺麗です。
勝龍寺城は、細川ガラシャさん想い出の城。
展示室には、細川忠興・ガラシャさんの事や、
お城の資料が展示されています。
ここに咲く六月の花を見ていると、戦国の時代を生きた、
細川ガラシャさんの歩みも浮かんで来ます。
細川ガラシャさん。(1563~1600年)
明智光秀の三女で、名は珠(たま)。
品格と知性を備えた大変美しい方だったそうです。
天正6年(1578年)、15歳の時に父の主君・織田信長のすすめによって
細川忠興に嫁ぎます。
勝龍寺城で過ごした三年間は、素晴らしい思い出の日々だったでしょうね。
絵は、珠さんの輿入れ行列。
華やかな行列の様子が伝わって来ます。
結婚から四年が過ぎた天正10年(1582年)六月。
珠さんの人生に激震が走ります。
それは、「本能寺の変」。
父である光秀が、織田信長を討って自らも滅んでしまい、
珠は「逆臣の娘」となります。
主人である忠興は、彼女を天正12年(1584年)まで丹後国に隔離・幽閉します。
時を経て、覇権を握った羽柴秀吉の取り成しもあり、忠興は珠を細川家に戻しています。
キリスト教に入信したのは1587年。ガラシャの洗礼名は、その時から。
その後、関ヶ原の戦いに際し、石田三成から人質として
大阪城に入ることを強要されたガラシャさんは、
家老に胸を突かせて、亡くなられています。
ガラシャさん37歳でした。
辞世の句は
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
改めて、戦国という時代の厳しさが浮かんで来ます。
六月の勝龍寺城。
雨に濡れた紫陽花が綺麗です。
○ 京都府長岡京市勝竜寺13-1
○ JR京都線「長岡京駅」から徒歩10分
○ 料金 無料
○ 休館日 毎週火曜