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426年の時を越えて残る遺構。「平野御土居」。

Akio

Akio

京都特派員

更新日
2017年2月2日
公開日
2017年2月2日
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米国のトランプ大統領がメキシコとの国境に壁を作ると騒ぎになっていますが

京都の洛中洛外を仕切る御土居は、大きな丘であり壁でした。

400年からの時を経て、今は殆どが無くなっていますが

幾つかの御土居跡が残っていて、平野御土居もその一つです。

見上げると、結構な高さです。

御土居とは、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた

京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,

天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。

それは、台形の土塁と堀からなり,

御土居の範囲は南北約8.5km、東西約3.5kmの縦長の形で

その長さは22.5キロメートルに及んだそうです。

御土居には幾つかの出入り口がありました。

現在でもその名残として、鞍馬口、丹波口、粟田口、荒神口などの地名が残っています。

住宅街に残る、秀吉さんの遺構。「平野御土居」。

それは、426年前の京の町を想像させてくれます。

《平野御土居》

〇所 北野天満宮北門から出て、平野神社に向かう道を少し歩き、

住宅街に続く細い道へ左折した所。

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