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伏見を流れる濠川(ほりがわ)では紫陽花が
見頃を迎えています。
水路の春は桜。
今は約12000株の紫陽花。
伏見の歴史は、豊臣秀吉から始まり
水路は、伏見城の築城資材を運ぶため造られました。
伏見は豊かな地下水に恵まれ、流域には酒造会社が多く、白壁の酒蔵が立ち並んでいます。
紫陽花の向こうに見えるのは、月桂冠の酒蔵。
江戸時代の水路沿いには、酒蔵と共に廻船問屋並び、多くの小舟が往来していたそうです。
坂本龍馬で有名な寺田屋さんも、すぐ近く。
川から上がると、寺田屋さん。
江戸時代の伏見は、大阪と京都を結ぶ淀川の舟運の港町として栄えた町で、
寺田屋のような船宿は何件も軒を連ねていました。
又、この辺りは鳥羽伏見の戦いで、薩長を中心とした新政府軍と、
幕府歩兵隊・会津藩兵・新選組など
新政府軍と旧幕府軍の間で、激しい戦闘が行われた所でもあります。
再び濠川に戻ります。
伏見城が存在した(1594年)頃の濠川は、城の外堀でしたが
龍馬の生きた時代には、ほぼ、この様な水路だったそうです。
寺田屋事件(1866年)の時、濠川を使って薩摩島津屋敷まで逃れたとも言われています。
龍馬は、水路の船を大いに利用したそうで、寺田屋事件で怪我をした龍馬が、
しばらく薩摩藩邸にかくまわれた後、妻のおりょうと共に薩摩へ向かった
「日本最初の新婚旅行」も、ここの船が始まりだったそうです。
水路を運行している十石舟は、川の港町としての、
伏見の歴史を伝える観光屋形船です。
龍馬を思う濠川の紫陽花。
見頃です。
《伏見濠川》
○所 京都市伏見区南浜町
○アクセス 京阪電車「中書島」下車5分。