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雪の五箇山菅沼合掌造り集落!

KaRyo

KaRyo

群馬特派員

更新日
2018年3月16日
公開日
2018年3月16日
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お疲れ様です!桐生特派員の加藤です。

今日ご紹介するのは、世界遺産菅沼合掌造り集落です。

富山県南砺市菅沼にある「世界遺産・菅沼合掌造り集落」は、9棟からなる合掌造り集落です。

昭和45年に国指定史跡となり、平成6年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。そして平成7年「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されています。

江戸時代に建てられた合掌造りも2棟あります。

また平村相倉、岐阜県白川郷の合掌造り集落も合わせて「世界遺産」に登録され、観光名所となっています。

しかしこの菅沼合掌集落は3つの集落のうち規模は最も小さいのですが、観光地化されていないので、もっとも鄙びた集落としておすすめです。

合掌造りの急勾配の屋根は、日本の民家としては極めて特異で、豪雪地帯である五箇山の厳しい気候と風土に根ざした構造となっています。

現在この集落には、9棟の合掌造りが現存し、うち2棟は江戸時代末期に、6棟は明治時代に、1棟は1925年に建てられたものです。

今も人々が生活する菅沼集落には、素朴な風土と歴史が残っています。

五箇山は江戸時代、和紙や養蚕、鉄砲の火薬の原料である「塩硝(えんしょう)」が主な生産品でした。菅沼集落でもそれらを生産するかたわら、わずかな土地を利用した稲作と、なぎ畑と呼ばれる焼き畑農業で生活が行われていました。塩硝の生産は、明治になって加賀藩の庇護がなくなったことや安価な輸入品のために衰退してしまいました。

菅沼は小さいながらも日本を代表する山村集落として、昔からの景観を変えることなく、訪れる人々に歴史を語り続けています。

平成19年3月31日には、集落を一望できる、「南砺市世界遺産菅沼合掌造り集落展望広場」が完成しました。

ここからエレベータで合掌の里と集落を結ぶ歩道トンネルにアクセスできるようになっています。

世界遺産合掌集落で見られる合掌造りは、江戸時代から始められた養蚕のため、屋根裏に棚を設置したのが始まりと言われています。豪雪による雪下ろしの作業軽減と屋根裏の床面積拡大のため、急勾配を持つ特徴的な茅葺屋根になったと考えられています。この切妻造りの茅葺き屋根の勾配は、菅沼集落や相倉集落の合掌造りは荻町合掌集落の合掌造りに比べて、勾配が若干急になっています。これは、同じ豪雪地帯といっても、荻町で降る雪が軽いのに対して、菅沼・相倉の五箇山地方の雪は湿気を多く含み重いため、少しでも屋根から雪が落ちるよう考慮されていると考えられます。また、五箇山地方の合掌造りは、茅葺き屋根の端の部分(破風、ハフといいます)が丸みを帯びていることも特徴のひとつです。さらには、家の入り口が妻側(合掌造りの手を合わせた形に見える方が正面)にある「妻入り」構造なのは菅沼集落のみで、その他の地域は平側(屋根が見える方が正面)に入り口のある「平入り」構造となっています。

合掌造りの構造上、通常の家屋に比べて天井裏部分の容積が大きくなります。その天井裏部分は風通しが良く、盛んに養蚕が行われた。 加賀藩では五箇山の絹を重要な資金源としていたほか、蚕の糞を利用して焔硝の密造を行っていました。ううむ、相変わらず抜け目がないな・・・。

合掌造りを守る地域住民の連携形式の「結(ゆい)」により、補修や茅葺の葺き替えが30年~40年に一度行われています。屋根の葺き替えには、多くの人手と時間(全て葺き替えるのに二日間はかかる)を要する。この時は総出で一気に屋根を葺き替えます。しかし、過疎化や住民の高齢化により、「結」の活動による、合掌造りの維持活動も限界となってきています。

ううむ、この合掌集落を維持するのはかなり困難になっているということでしょうか。

参照元URLhttp://www.pcpulab.mydns.jp/main/sekaiisan_suganuma.htm

いかがでしたか?素晴らしいですネ〜♪

みなさんも是非出掛けてみてくださいネ!

それではご機嫌よう♪

五箇山菅沼合掌造り集落

住所 〒939-1973 富山県南砺市菅沼436

TEL 0763-66-2468 (五箇山総合案内所)

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