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縄文時代中期の集落跡「史跡梅之木遺跡公園」オープン!

水月

水月

山梨特派員

更新日
2018年5月11日
公開日
2018年5月11日
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北杜市明野町に、2018年4月27日オープンしたばかりの「史跡梅之木遺跡公園」を紹介します。

約5000年前から500年にわたり縄文時代の人々が暮らした集落の遺跡です。

「金生遺跡」「谷戸城跡」に続き、国史跡指定された北杜市3番目の国史跡「梅之木遺跡」では、縄文時代中期の「竪穴住居などの環状集落」と「道」と「水辺の作業場」がそろって見つかりました。

北には八ヶ岳が、西には南アルプス連峰を望む、素晴らしく眺めのいい場所です。

さて。縄文時代の人々が暮らしていたという竪穴住居、なかはどんなふうになってるのかな? さっそく入ってみましょう。

あ、以外と明るい。天窓があるからなんですね。

5本の柱を梁でつなぎ、垂木を架けて組み立て、屋根には樹皮が張られています。

大きな平石で囲った炉は、暖をとるだけのものではないそうです。火の神が宿る神聖な場として住居の中心より奥に置かれ、呪術などに使われていたとも考えられています。

この石斧は、竪穴住居再現に当たり、当時使われていたと思われるものをやはり再現して使おうと長野県伊那市産の緑色岩原石を削るところからスタート。不思議なことに当時、徒歩でしか行き来できなかったはずなのに、南アルプス連峰の向こうから運ばれたと考えられる石で斧を作っていたことがわかっているそうです。

鹿の角も、住居の穴を掘る際ツルハシとして使われたということですが、手にとってみると、うん、ずっしりと重く硬い。

屋根の部分には樹皮が使われています。木材もそうですが、樹皮の必要量が半端じゃなく、集めるのに苦労されたとか。縄文時代の暮らしには、豊かな森林があるからこそ成り立っていたんですね。

機械や釘などの金属をいっさい使わずに、縄文時代の道具、技術、素材にこだわり復元した土屋根の竪穴住居は、日本ではここだけ。世界じゅうでも珍しいということです。

そして、「梅之木遺跡」の大きな魅力のひとつは、この川辺まで続く「道」です!

5000年前に使われていた「道」が見つかることはほんとうに稀で、奇跡的なことだそうです。たいていは、田畑にするため耕されたりしてわからなくなってしまうのだといいます。

実際にこの土地の樹木を、手作りした石斧で切り倒して「竪穴住居」の木材にしたそうです。切り口を見ると、苦労の跡がうかがえますね。

川の近くには、石焼きオーブンのような役目をしたと考えられる「集石土坑」が発掘され、再現してあります。

入口には、ガイダンス施設があり、発掘された土器も展示してあります。

今後も「みんなでつくる縄文ムラ」と銘打ち、市民参加で竪穴住居づくりや植樹などを行い、縄文時代のこの土地の様子を再現していく予定だそうです。縄文時代に主食のひとつとされていたツルマメも、栽培中でした。

5000年前。この土地で、人々はどんな暮らしをしていたのでしょう。

県外から運ばれたと思われる石が見つかったことなどから、ほかの集落との交流があったこと、物々交換をしていたのではないかということなどが想像できるとのこと。

もちろん、まだまだ解明されないこともいっぱいあります。川辺で見つかった「敷石住居」は、日当たりも悪い湿気の多い場所にあり、住居としても小さすぎるし、なぜ石を敷いてあるのかも謎だそうです。

そんな縄文の暮らし、ちょっとのぞいてみませんか?

謎を解く新たな鍵を見つけるのは、あなたかも知れませんよ。

☆体験学習会のお知らせ☆

〈竪穴住居の屋根土をおろします〉

越冬期の保温のために屋根にのせていた土をおろします。作業後は、ジビエを試食しながら、縄文時代の「住」についてかたらいましょう。

2018年6月9日(土)午前9時30分から(小雨決行)

汚れてもいい服装で、手袋、飲み物、弁当、雨具持参のこと。先着10名まで。

前日までにお電話で申し込んでください。0551-25-2019(埋蔵文化センター)

■史跡梅之木遺跡公園

入場料無料 (受付なしで自由に観て歩くことができます)

駐車場あり トイレあり(バリアフリー多目的トイレ完備)

☆レクチャーしてほしい方、その他要望がある方などは、事前に問い合わせることをおススメします。

住所 山梨県北杜市明野町字梅木6315ほか

国史跡指定日 2014年3月18日 指定面積28,123㎡

問い合わせ先: 埋蔵文化センター

住所 山梨県北杜市明野町上手8310

電話 0551-25-2019

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