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九州福岡の地名の由来は『備前福岡』から ~瀬戸内市長船町~

mami

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岡山特派員

更新日
2018年10月8日
公開日
2018年10月8日
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長船の『備前福岡』という場所は、吉井川と山陽道が交わる水陸交通の要所で

人や物資が集まる地として中世は山陽道随一の商都と言われ古くから栄えていました。

豊臣秀吉が備中松山城を水攻めをした時もここで物資の提供を受けています。

鎌倉時代の国宝『一遍上人絵伝』に描かれた「福岡の市」の場面は有名で

往時を偲ぶ町のつくりが今も残っています。

また、豊臣秀吉の軍師、黒田官兵衛ゆかりの地でもあり

官兵衛の曾祖父の墓と父の供養塔が妙興寺に残されています。

さらに、戦国の貴公子と呼ばれた宇喜多秀家の祖父、宇喜多興家の墓も

こちらにあります。

かつて、山陽道最大の商都として栄えていたころの寺域は

約2万㎡余りの敷地に1院と10の坊が立ち並ぶ大寺院だったそうです。

東大寺の仁王像も運慶、快慶、定覚、湛慶と小仏師多数の作品ですが

色彩が施されているせいか、雰囲気がずいぶん違って見えますね。

江戸時代に伽藍の大半を焼失し再建はされましたが今は小さな寺域です。

この奥に黒田家の墓所があり、黒田官兵衛の子

黒田長政が筑前に封ぜられ、居城を博多の西に築いた時

祖先の故郷"備前国邑久郡福岡"にちなんで『福岡城』と名付けたと言われています。

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