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ここは、古くから備前長船の刀匠の霊を供養してきた菩提寺です。
奈良時代、唐僧鑑真の創建と伝えられる1300年の歴史ある寺院で
本尊は阿弥陀如来、脇侍は観音菩薩・勢至菩薩となるそうです。
寺の歴史は天平時代からですが、建物の建立は名にし負う刀匠
横山上野大掾祐定という説もあります。
明治20年に先祖代々の菩提のため、刀匠・横山元之進祐定(すけさだ)寄進の梵鐘です。
元之進祐定は、備前長船の流れをくむ第60代祐定、最後の刀匠です。
『備陽国志』によると戦国時代、水運の大動脈だった吉井川で大洪水がありました。
戦に明け暮れた戦国時代は、大量の刀剣のニーズがあり、長船は刀剣の一大産業で栄え
いくつもある大きな工房は、刀匠だけでなく、砥師、鞘師、塗師など数多くの専門分野に別れ
分業体制で刀を作り、大量生産が行われていました。
しかし、この洪水で多数の工房が濁流に呑まれ流されてしまいます。
しかも、このような水害が2度も起こり備前長船・福岡の刀剣工房は壊滅してしまうのでした。
かつては、武田信玄や織田信長にも招かれて刀を鍛えたという祐定一派の名誉のため、見事復興させ
小早川秀秋より藩鍛冶に召し抱えられた人物です。
藤四郎には4人の男子がいて、それぞれが祐定を名乗り、一門は大いに繁栄し
祐定の名は代々、江戸、明治、大正、昭和と引き継がれますが
昭和4年第60代祐定、横山元之進が亡くなると、息子も若くして亡くなっていたため血族は途絶えてしまいます。
この鐘は、南北朝時代の永徳4(1384)年の作で大きさは、全高93.9cm、口径53.9cm、 竜頭高18.2cm。
池の間には、筑前国(福岡県)筑紫宮へ納めるために作られたことを記す刻銘、防州(山口県) の寺に買い取られたことを記す刻銘、祐定が寄進したことを記す刻銘、また、鏡の内面には、 この鐘が当寺に納まるまでの四種類の刻銘が記されている。
寄進者の刀匠元之進祐定の故郷における事蹟を記す鐘として、重要な資料となっている。
瀬戸内市教育委員会(現地案内板)
境内に刀匠のための供養塔があり、毎年刀匠慰霊祭が行われています。
境内には、刀匠横山上野大掾祐定のお墓もありました。
大正14年に横山元之進祐定が史跡保存のため私財を投じて建立した碑だそうです。
あの半鐘を寄進した祐定さんです。
刻まれた文字は後に第29代内閣総理大臣を務めた、岡山出身の政治家・犬養毅の筆跡によるもので
碑の高さは5㍍、刀の切っ先を空に向け建てられています。
大正時代には、日本刀の需要はほとんど無くなり、この年、横山元之進祐定は刀匠を廃業したのでした。
ところが、平成の現代、長船の刀鍛冶は今も槌音を響かせています。
それは昭和に入り日本軍がサーベルから日本刀様式の軍刀に変わり需要が出てきたため
戦時中に復活したものが続いているそうです。
現代は居合刀として武道具として、また美術工芸品として日本刀の作刀を、さまざまな形で現代に伝えています。
名 称 宝城山西方寺慈眼院ー古跡備前長船刀匠菩提寺ー
所在地 〒701-4271 瀬戸内市長船町長船
TEL 0869-22-3953 長船市観光協会