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岡山特派員mamiです。
今年も岡山の有名な場所、マニアックな場所、色々とりまぜながら
ご紹介したいと思います。
今年は亥年でもあるので猪にまつわる話ということで
和氣神社をご紹介したいと思います。
和氣神社の御祭神は8柱ですが中でも和気清麻呂公、和気広虫姫の姉弟が
最も有名ではないでしょうか。
ふたりの姉弟は備前国藤野郡(岡山県和気町)に生まれました。
姉の広虫姫は、采女となって奈良の都に上り、15歳で中宮職に勤める葛木戸主と結婚します。
やがて成人した弟の清麻呂も上京し、近衛府の武官となって朝廷に仕えます。
写真は、一の鳥居をくぐり霞橋を渡ったところにある清麻呂公の銅像で
高さが4.63㍍の青銅製で、日本彫塑界の大御所、朝倉文夫氏の作の堂々たる壮年期の和気清麻呂像です。
生誕1250年を記念して、奈良県と朝倉家遺族のご厚志により当地へ寄贈された由縁が資料館にありました。
清麻呂は67歳でお亡くなりになりますが、貫禄のあるいい像だと思いませんか。
和氣神社は狛犬の代わりに狛いのししです。
猪は清麻呂公の随身で、また足腰の守護として崇められ、ここでは拝殿前と鳥居前に鎮座しています。
なぜ、猪かというと、奈良時代、称徳女帝に寵愛された僧侶・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が
天皇になろうとした宇佐八幡神託事件がありました。
臣下の身で皇位を窺うという、前代未聞の事態でした。
称徳女帝は事の重大さに思い悩み、和気広虫・清麻呂姉弟に神託の真偽を確かめる任務を負わされたのでしたが
実際に宇佐八幡宮(現・大分県)に赴いたのは弟の清麻呂でした。
清麻呂が持ち帰った"真のお告げ"は、「道鏡を掃い除くべし!」というものでした。
清麻呂は道鏡の野望を阻み、国家の危機を救ったわけですが
激怒した道鏡は、広虫は備後(広島県)へ、清麻呂は大隅(大分県)へ流刑に処します。
道中、怒りおさまらぬ道鏡の仕業か、清麻呂は足が萎えて歩けなくなります。
すると、300頭の「猪」がどこからともなく現れ、護衛されながら、無事大隈国へ着いたということです。
こちらはお姉さんの広虫の石像です。
称徳天皇に仕え、女帝からの信任の厚い女官でした。
恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の375人の逆徒の助命を懇願し、死刑を流刑に改めたり
乱後の孤児83名を養子として育て、夫の葛木の姓を与えました。
慈悲深く、清純で心の広い人柄でいらしたそうです。
拝殿の前にも鎮座する狛いのしし。
足の萎えた清麻呂に霊泉を教えたのも猪で、脚が治ったことから
足腰の健康に関するご利益の象徴にもなったようです。
現存の建物は、明治18年より順次建替えられ
本殿、幣殿・釣殿・拝殿、随神門が一連の建造物となっています。
関西一の大棟梁といわれた、宮大工田淵勝義の手により造営されました。
和氣神社
所 在 地: 〒709-0412 岡山県和気郡和気町藤野1385(藤公園隣り)
電話番号: (0869)93ー3910
駐車場 : 普通車 600台 (大型バス 10台)
Email : info@wake-jinjya.com
アクセス
山陽自動車道・和気ICより10分(和気神社または藤公園の標識が随所にあります)
JR山陽本線・和気駅よりタクシーで約10分