キーワードで検索
《幕末史に度々登場した三条大橋》
前ぺージからの続きです。写真は鴨川に架かる三条大橋。
幕末史の中でもこの橋は、新撰組と土佐藩士がこの場で決闘を繰り広げたり、
乞食に変装した桂小五郎(木戸孝允)が橋の下に潜んでいたり、橋から見える河原に
新撰組の近藤勇の首が晒されたりと、幕末史では度々登場しています。
三条大橋から東山へと入りました。
高台寺の横を真っすぐに伸びる道は「維新の道」です。
道は京都霊山護国神社へと続いています。
《観光コースから一歩曲がれば、龍馬坂》
維新の道を横目に、二年坂に入りました。
ニ年坂に入り、少し歩いて左に曲がると、「龍馬坂」です。
二年坂は、三年坂や清水に続く道として連日多くの人で賑わっていますが、
「龍馬坂」には殆ど、ひと気がありません。
龍馬道の中腹から、振り返ると八坂の塔が見えます。
この坂道は、幕末志士葬送の道。
慶応3年(1867年)11月18日、海援隊士や陸援隊士らによる
坂本龍馬と中岡慎太郎の葬列が通りました。
見上げると、こんなにも急こう配の道です。
《京都霊山護国神社へ》
坂道を上り少し歩くと、「京都霊山護国神社」。
護国神社の始まりは1868年、明治天皇が誕生すると、明治維新で亡くなった侍たちを祀るように詔を発せられ、
長州や土佐などの諸藩と公家が賛同して新しく神社を創建しました。
それが霊山官祭招魂社です。
そして、第二次世界大戦が始まると京都霊山護国神社に改称し、
護国神社制度が制定され、全国にも護国神社が建立されました。
護国神社には、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争の犠牲者が英霊として祀られ、
京都だけでもこれまでに祀られた英霊は73000柱以上にのぼります。
《京都霊山護国神社》
〇所 京都市東山区清閑寺霊山町1
〇交通 市バス 東山安井下車徒歩10分
※ 高台寺や二年坂から徒歩で約15分
〇参拝時間 9時ー17時 休みなし
〇お墓まいり 300円
墓地には、幕末から明治維新の時に亡くなった、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允など、
志士の墓、1,356名が建っています。
墓地の休憩所からは京の町が見えます。
壁には坂本龍馬の年表。
中岡慎太郎の年表。
桂小五郎(木戸孝光)の年表。
坂本龍馬は、薩摩と長州との薩長同盟を仲介し、大政奉還を進言し、
新政府の構想も練っていた人物として、幕末史において多くの役割を担いました。
しかし、大政奉還成立の一か月後(慶応3(1867)年11月15日)に河原町の近江屋で中岡慎太郎と共に、
暗殺されてしまいました。
坂本龍馬33歳。中岡慎太郎29歳。
毎年、京都霊山護国神社では、龍馬の命日の11月15日に「龍馬祭」が行われ、
全国から多くの参拝者が訪れています。
坂本龍馬が亡くなって152年。
ここからは2019年の京の町、そして大きな空が見えます。