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梅が見頃を迎えている伏見区・城南宮の近くには「鳥羽伏見の戦い跡」の石碑が建っています。
鳥羽伏見の戦いは、戊辰戦争が始まる戦いでした。
《戊辰戦争とは》
戊辰戦争とは、「大政奉還」で将軍慶喜が朝廷に政権を返上し、
幕府の廃止をしたにも関わらず強大な権力を保持していた旧幕府勢力に対し、
反発を抱いた新政府が、武力で旧幕府勢力を倒すために起こした戦争です。
戦争は、1868年戊辰の年に鳥羽・伏見の戦いで始まり、翌年の函館五稜郭の戦いで終わりました。
戊辰とは十干・十二支を組み合わせた干支で、戊辰の年に起こった戦いという意味です。
(写真は城南宮近くの小枝橋に建つ石碑。)
《鳥羽伏見の戦い》
慶応4年1月2日(1868年1月26日)、戊辰戦争の緒戦である鳥羽伏見の戦いが開戦しました。
新政府軍は伏見・御香宮に布陣。(約5.000人)
旧幕府軍は伏見奉行所に布陣。(約15.000人)
鳥羽街道の砲声が伏見奉行所に届くと、奉行所を包囲していた薩摩軍が一斉に砲撃開始。
間もなく旧幕府軍と新政府軍との激しい戦いがくり広げられました。
旧幕府軍は京の町の治安を守り続けてきた、会津藩や新選組で士気はありましたが、
最新鋭の銃器を持つ薩摩軍相手ではかなわず、追い込まれて苦戦そして後退が続きました。
1月6日夜、徳川慶喜が大坂城から江戸へ退却したため、旧幕府軍は戦の目的を失い、
各藩は戦いを停止、一部は江戸方面へと撤退することとなりました。
(写真は、新政府軍が陣地とした御香宮。)
《御香宮神社》
〇所 〒612-8039 京都市伏見区御香宮門前町174
〇アクセス (1)京阪電車京阪本線伏見桃山駅から徒歩5分
(2)近鉄電車京都線桃山御陵前駅から徒歩5分
そして、御香宮から少し移動した京阪「中書島駅」の近くには、
「伏見口の戦い激戦地跡の石碑」があります。
ここも鳥羽伏見の戦いでは激戦の地でした。
この日、城南宮から御香宮神社・・・そして中書島へと
鳥羽伏見の戦いの足跡を巡った日でした。
《伏見口の戦い激戦地跡》
〇アクセス 京阪「中書島駅」で下車。徒歩約6分で到着。