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おはようございます。桐生特派員の加藤です!
今日ご紹介するのは、近くの梅田町を散策したときのことです。里山の風景は四季折々の変化を見せ、古い文化と良くあっていると思います。山、川、お寺、神社、湖、ダム、古民家、長閑な風景……..
いい所がいっぱいあって、ぼ〜っとしてまったり〜しちゃいます。
今回は、梅田の民話を二つ紹介させて頂きます。
まず始めは、六三大士(ロクサンダイシ)
六三除けで重病人を救ったという為雲(イウン)和尚様の話。この和尚様はお酒が大好きで、お礼はお酒でしたものだという。長泉寺境内にある六三大士堂には、今でも竹筒に入ったお酒が供えてある。
もうひとつは、ダムの近くにあった軍場(イクサバ)のお話です。昔、太田金山城主由良氏に敗れ、追い詰められた桐生勢最後の集結地であるともいわれている。梅田ダムが建設され、風景もだいぶ様変わりしたが、このダム堤真下の桐生川右岸高台一帯が、軍場といわれている。
梅田地区生涯学習推進委員会 梅田町自治会連合会
撮影桐生特派員加藤
こんな歴史ある板塀も残っていた。
木枠のガラス戸のある立派なお屋敷もあるぅ〜
ここは、二渡神社
-二渡神社 桐生市史神社編由緒-
上野国誌に「猿石社二渡村にあり、祭神猿田彦命」と記されている。桐生美和神社々家小島家文書「慶安四年卯十月、桐生領七社明神神号」の中に「猿石大明神、山田郡梅田村大字二渡鎮座」と記載されている。猿石社はまた猿田彦神社と古くは称されていた。桐生館の古社の一つである。明治四十一年一月十四日許可により二渡村字上ノ原の無格社八坂神社、字大石窪無格社稲荷神社、字残馬の無格社残馬山神社を合併した。
大正三年九月九日二渡神社と改称を許可された。明治四十四年四月一日に火災にあい、善美を尽した本殿、拝殿、神楽殿を焼失したが、昭和二年二月十七日許可があって新たに社殿を建設した。昭和八年九月二十九日神饌幣帛料供進神社に指定され村社に列した。
二渡神社は桐生七社の一社で、昔は猿石明神と呼ばれていた。
ちなみに桐生七社は二渡神社・桐生天満宮・兼宮神社・日枝神社・常祇稲荷神社・美和神社・白髭神社。
桐生川のせせらぎの音が聞こえますか?
その周辺の味のある古民家
どうでしたか?いい所でしょう。私は近くだから、いつも行けますがみなさんにも来て欲しいです。
美味しい空気、清らかな水、まったりしちゃう長閑な風景がお待ちしてます。
それではご機嫌よう♪
桐生市梅田町周辺