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ひき続き、旧閑谷学校のご紹介です。
旧閑谷学校の西側にこんもりした山があり、その奥に学舎や学房(寄宿舎)などがつくらています。
ここからの出火が講堂などに飛び火しないように、防火の目的でつくられた人工の山で「火除山」と呼ばれています。
先人の知恵ですねぇ。
こちらが学房跡です。
夕闇が迫り、なんだか古い写真のように撮れました。
かつて江戸時代には、茅葺き屋根の学舎や寮があったところに明治時代になって建てられた校舎が残っています。
久しぶりに訪れたら、現在は閑谷学校の史料館となっていました。
明治になり、いったん廃校になるも、再び閑谷精舎、閑谷中学校、閑谷高等学校、和気閑谷高等学校・・・と儒学の歴史は現代にまで受け継がれているようでした。
中に入ってみました。中学の時以来です。
私が中学生の時には、青少年教育センターとしてこの建物を利用しました。
私と同世代の時期に中学生だった岡山っ子は一度は、泊まったことがあるのではないでしょうか?
黒光りする手すり、手作りのゆがみのあるガラス、室内は、当時のままの姿をとどめていました。
閑谷の森の西側の山麓に茅葺き屋根の建物を見つけました。
少し離れたところに、もう1軒あります。
史料館で「茅葺き屋根の寮」の古い写真がありましたが、その中にも写っていた建物だと思いますから相当の年代物だと思います。
梅林と一緒だと、日本昔話のような風景ですね。