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新春の高桐院へ行って来ました。
寄せて頂くのは久しぶりです。
高桐院は、本堂の屋根瓦の葺き替え工事などのため昨年11月まで拝観休止でした。
真っすぐに伸びる参道の竹の手摺も新調されています。
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、京都の五山のひとつ。
大徳寺の広大な敷地内には20余りの塔頭があり、その中のひとつが高桐院。
高桐院は、戦国時代を生きた細川忠興と、その妻ガラシャが眠る細川家の菩提寺です。
細川ガラシャさんは、戦国史の中に、その名を残す数少ない女性の一人。
明智光秀の三女で、名は(たま)。
キリスト教に入信したのは1587年。
才にも文にも長けた、大変美しい女性だったそうです。
37歳での辞世の句。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」。
長い時を越えて伝わって来る句は深いです。
細川忠興は、茶人としても有名で、千利休の七哲のひとり(千利休の高弟7人を指す呼称)と言われています。
高桐院には千利休ゆかりの品も多く、書院は利休の邸宅を移築したものです。
千利休は(1522年~1591年)、織田信長と豊臣秀吉に仕えて信頼を得ますが、最後は秀吉の怒りに触れ切腹させられています。
《千利休御茶の心得》
こちらの間は、かつて聚楽第にあったという利休邸を移築した書院「意北軒」。
利休の切腹後に壊されようとしていたのを玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)が移築したそうです。
千利休が説いた御茶の心得は「一期一会」。
「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ない、たった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今、出来る最高のおもてなしをしましょう」
意北軒の襖絵は狩野安信が描いたとされる水墨画。
改めて思う・・・
戦国という時代。
ガラシャさんも千利休さんも大変な時代を過ごされたんですね。
境内には忠興とガラシャの墓のほか、細川幽斎はじめ一族の墓もあります。
瓦には細川家の家紋「九曜紋」が入っています。
新春の高桐院。
凛と冷え込んだ大気の中、四百年の時を越えて届く景色が広がっています。
《高桐院》
◎ 所在地 京都市北区紫野大徳寺町73-1
◎ アクセス 地下鉄北大路駅2番出口→徒歩15分。
市バス 1.205.206系統で5分、バス停、大徳寺前下車、徒歩5分。
◎拝観 9~16時 500円