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ガラシャさんと千利休さんを思う「初春の高桐院」

Akio

Akio

京都特派員

更新日
2020年1月3日
公開日
2020年1月3日
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新春の高桐院へ行って来ました。

寄せて頂くのは久しぶりです。

高桐院は、本堂の屋根瓦の葺き替え工事などのため昨年11月まで拝観休止でした。

真っすぐに伸びる参道の竹の手摺も新調されています。

大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、京都の五山のひとつ。

大徳寺の広大な敷地内には20余りの塔頭があり、その中のひとつが高桐院。

高桐院は、戦国時代を生きた細川忠興と、その妻ガラシャが眠る細川家の菩提寺です。

細川ガラシャさんは、戦国史の中に、その名を残す数少ない女性の一人。

明智光秀の三女で、名は(たま)。

キリスト教に入信したのは1587年。

才にも文にも長けた、大変美しい女性だったそうです。

37歳での辞世の句。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」。

長い時を越えて伝わって来る句は深いです。

細川忠興は、茶人としても有名で、千利休の七哲のひとり(千利休の高弟7人を指す呼称)と言われています。

高桐院には千利休ゆかりの品も多く、書院は利休の邸宅を移築したものです。

千利休は(1522年~1591年)、織田信長と豊臣秀吉に仕えて信頼を得ますが、最後は秀吉の怒りに触れ切腹させられています。

《千利休御茶の心得》

こちらの間は、かつて聚楽第にあったという利休邸を移築した書院「意北軒」。

利休の切腹後に壊されようとしていたのを玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)が移築したそうです。

千利休が説いた御茶の心得は「一期一会」。

「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ない、たった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今、出来る最高のおもてなしをしましょう」

意北軒の襖絵は狩野安信が描いたとされる水墨画。

改めて思う・・・

戦国という時代。

ガラシャさんも千利休さんも大変な時代を過ごされたんですね。

境内には忠興とガラシャの墓のほか、細川幽斎はじめ一族の墓もあります。

瓦には細川家の家紋「九曜紋」が入っています。

新春の高桐院。

凛と冷え込んだ大気の中、四百年の時を越えて届く景色が広がっています。

《高桐院》

◎ 所在地 京都市北区紫野大徳寺町73-1

◎ アクセス 地下鉄北大路駅2番出口→徒歩15分。

市バス 1.205.206系統で5分、バス停、大徳寺前下車、徒歩5分。

◎拝観 9~16時 500円

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