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前回に続き、後楽園の借景でもあり、市街地から一番近い山、操山ウォーキングの続きです。
萩の塚古墳から南へ足を向けると「つばきの森」を抜け、「旗振台古墳」に出ます。
ここに来るまでは、知らなかったのですが、たくさんの古墳がある山で「操山古墳群」と呼ばれるようです。
旗振台からの眺めです。眼下に広がる沖新田、倉田新田など、ほとんどの平野が干拓による土地です。
古墳のある位置は、古代の瀬戸内海航路を望む尾根頂部になるので、海が広がっていました。この海を「吉備の穴海」と呼んでいました。
旗振台というのは明治時代中頃、大阪で米相場が立つと旗を振って知らせる場所でもあったからです。
写真の左の方には熊山があり、そこにも旗振台があります。このような山々を中継地点として大阪から、岡山まで約15分で米相場が伝達されたそうです。
金蔵山古墳に向けて歩きますが、途中にも古墳がいっぱいあります。中にはうっかり踏んでしまいそうなくらい小さな古墳もあります。
こちらは、八畳岩古墳です。墳丘は流失し概ね失われ横穴式石室が剥き出しとなっています。
八畳というのは露出した石室の大きさが呼び名となみたいですね。操山丘陵の北麓に住んでいた有力者の家族墓と思われます。
こちらは二股古墳(ふたまたこふん)といいます。石室の中には入っていませんが、横穴式の石室が二股に分かれた珍しい構造で名称の由来となっています。開口部向かって左側が主室で、右側に脇室があります。
こちらが目標の金蔵山古墳です。操山山塊において、ほぼ中央の金蔵山の山頂にあります。
ぽこっと石室の穴が見えます。岡山県では第4位の規模を誇る古墳で、墳丘長は165メートルといわれていますが、実際は山を利用した盛り上がりがあるものの、そんなに大きな古墳には感じられませんでした。墳丘規模・豊富な副葬品の点で吉備地方の代表的古墳のひとつと聞いていたのでちょっと、拍子抜けしました。
ここから円山不動明王を通り円山を目指します。けっこう急坂です。
到着~!
円山の山頂です。三角点がありました。
なんと! 円山の三角点の下も古墳です。石鉄山古墳といいます。
ここから東へ行くと笠井山がありますが、今回は南の曹源寺を目指して下山します。
山腹に曹源寺の三重塔が見えてきました。立派ですね~。三間三重で本瓦葺です。
しかし、この道は、道というよりも溝のようにV字の谷のようになっていて、急坂の上に中央に水が貯まるせいか落ち葉が湿って滑りまくり状態です。
私も転がるように滑りましたが、後から写真を撮っている夫も滑り転びました。
道の幅もひとりずつ通れるくらいです。
そして、下りてきたのが経堂と呼ばれる本瓦葺きの建物の裏でした。
このお寺の修行僧のほとんどが外国人で、日本人のお坊さまとすれ違ったことがありません。お寺自体もとても魅力があるので、またご紹介したいと思います。
本堂を抜けて三門をくぐりぬけ曹源寺を後にします。
曹源寺の直ぐ近くにある石高神社を通り、山麓沿いに護国神社へ戻ります。
いかがでしょうか。ご紹介したルート以外にも登山口が20近くもあるといわれています。道も整備されているので地図さえ持っていれば迷うことは少ないと思います。駅から手軽に登れる山のご紹介でした。