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『麒麟がくる』NHK大河ドラマで注目の明智光秀ゆかりの明智城址と天龍寺の見どころ

hossie

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東京特派員

更新日
2020年1月26日
公開日
2020年1月26日
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こんにちは。『地球の歩き方』名古屋・愛知特派員ブログ担当のhossieです。

今回はNHKの大河ドラマで注目を浴びている明智光秀ゆかりの地、明智城址と天龍寺をご案内したいと思います。

「美濃国諸旧記」によれば、1342年に土岐頼兼が明智城を築き、以後200余年に渡って明智氏の居城であったとされています。

明智城は明智光秀が生まれた城として知られています(諸説あります)。光秀は11歳で城主となり、落城までの約30年間、この地で過ごしたといわれています。

明智城は、張り出した尾根や谷などの自然地形を生かした典型的な中世の山城ですが、1556年(弘治2年)に稲葉山城主斎藤義龍に攻略され、明智氏は落城とともに滅びました。

一族のうち、明智光秀は一門の再起を期してここから脱出し、諸国流浪後に織田信長に仕えてその重鎮となるなど、天賦の才を発揮しました。

光秀は本能寺の変において主の信長を討ったことにより、長く逆臣の代名詞とされてきましたが、近年においては、優れた政治手腕と軍事能力で織田政権を支えた武将として、その人物像の再評価が進んでいます。

城址には本丸跡や曲輪・土塁などの遺構が比較的良好な状態で保存されています。

また、明智城址散策道が整備され、春から秋にかけてはハイキングコースとして楽しめるようになっています。

付近には光秀公の産湯として使われたとされる井戸が残されており、井戸からは、弥生時代の石器や、焼け焦げた柱材、恵比寿の宝寿等が出土したといわれています。

城址北麓にある天龍寺には日本一大きな明智光秀の位牌(184㎝:6尺1寸3分)と明智氏歴代の墓所があり、旧暦6月には光秀公御法要が営まれています。

なお、明智城跡や天龍寺周辺への自家用車での進入は道路が狭く、進入禁止となっています。お車でお越しの方は、花フェスタ記念公園駐車場をご利用ください。

●明智城址大手門です。ここから頂上を目指して登って行きます。

●城址内には幾つかmapがあり、その次の見どころを確認することができます。

●七ツ塚。1556年に明智城が攻め落とされた際の戦死者を祀った塚といわれています。

●明智城本丸跡です。明智城址は、本丸跡や曲輪・土塁などの遺構が比較的良好な状態で保存されています。

●展望台からの眺めです。案内板の通り明智の荘を見渡すことができます。

●明智城址で最も印象に残ったのが、一族の供養塔である「六親眷属幽魂塔」です。明智というとマイナスのイメージが強いですが、この地の住民が明智一門を敬っていた何よりの証拠です。

●遊歩道は綺麗に整備されています。

●明智光秀ゆかりの寺「天龍寺」です。本堂には明智光秀公の日本一大きな位牌があり、その横には木彫りの明智光秀公の像があります。また、鐘楼の近くに明智一族のお墓が祀られています。

【明智城址】

住所:岐阜県可児市瀬田

電話:0574-62-1111 (可児市役所)

【天龍寺】

住所:岐阜県可児市瀬田1242

電話:0574-62-1859

公式サイト:https://tenryuji.org/

◆交通アクセス

(車)東海環状自動車道 可児御嵩ICより10分

(鉄道)名鉄広見線明智駅から徒歩15分

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