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日永の追分(道と水のスポット)
先日、【日永の追分】に行ってきました。
水先案内人(その名のとおり、水のスポットもありました)は、このあたりに詳しいN.Oさん。
心強い相棒を得て、いざ! 【日永の追分】へ。
「追分」とは……道がふたつに分かれる場所をさした言葉。
街道の分岐点も意味しています。
甲州街道と青梅街道の分岐点である新宿追分など、各地に追分の地名が残っています。
「日永の追分」……江戸時代の街道の王道中の王道である東海道と伊勢街道の分岐点です。
東海道から歩いて行って「日永の追分」にたどり着いたら、左に行くと伊勢神宮へ繋がる道。
右に行くと京京都や大坂(大阪)に通ずる道。
東海道五十三次の四十三番目の宿場町として栄えた四日市にあるここ追分は、王道・東海道、そして当時大流行していたおかげ参りで有名な伊勢神宮への道との分岐点ということで多くの人々がここを通過して行ったに違いありません。
江戸(東京)にも京(京都)や大坂(大阪)にも伊勢にも行く道への魅力的な分岐点。
この石碑文には、神宮遥拝鳥居の経緯が書かれています。
江戸時代、江戸に店を持つ当地出身の方が東海道を行き来するなか、参宮街道との分岐点にである日永の追分に鳥居がないことを遺憾に思い、尽力をつくして寄付を集め、この地に鳥居を建立された模様やその後が記載されています。
その思いを形にした鳥居。
実は伊勢神宮に昔あった鳥居を式年遷宮時にもらい受けたという代物。
つまり伊勢を想うこの鳥居は本物の伊勢神宮の鳥居でした。
ずっとこの地を見つめて来た鳥居でもあります。
時代は江戸。
大ブームであったおかげ参りの伊勢神宮は一生に一度は行きたい場所として有名でした。
多くの人々の夢であった伊勢神宮参拝。
しかし大半は夢で終わります。
そのなかで東海道を道行く人々も同じでした。
同じ夢を見て、しかし同じく参拝する機会がない。
この東海道と伊勢神宮に通ずる伊勢街道の分岐点「日永の追分」に鳥居を配することで、伊勢神宮参拝と同じご利益があるようにとの想いがあったようです。
忙しく東海道を行き来する人たちがこの鳥居を通じて、はるか彼方にある伊勢神宮参拝の夢を叶えたそうです。
「日永の追分」は鳥居をくぐると真ん中あたりに湧水が出ている箇所があります。
ついに(水のスポット)に到着しました。
湧水がふんだんに流れ落ちています。
地元の人々がたくさん訪れる名水スポットのようです。
周辺の丘陵地から引いてきた水が(もったいないくらいに)ずっと流れ出ています。
触ってみるとひんやりと冷たい。
横の柱には水の成分表もありました。
飲んでもおいしいとのこと。
多くの人たちが湧水目当てにここを訪れるそうです。
むしろいまは史跡に勝るとも劣らないくらい、水のスポットとして有名だそうです。
道と水のスポットである【日永の追分】
ここは同時に東海道と伊勢神宮を結ぶ歴史的な史跡でした。
江戸時代から多くの人たちが伊勢への憧れや希望を持ったパワースポットでもありました。
水先案内人の地元N.Oさんとの旅は続きます(ご協力ありがとうございました)。
次回はあの有名なパワースポットかつ美しい椿神社へ。
そのあとは旧街道・関宿も予定しています。
今後もさまざまなところを紹介していく予定です。
また三重県ブログをよろしくお願いします。