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こんにちは~。岡山特派員のmamiです。
岡山県は10月半ばからいままで少なかった県北でコロナが流行り始めました。
Go To キャンペーンも全国で始まり、旅行へ行っても大丈夫な雰囲気でもありますがまだまだ油断は禁物ですね。
今月は私の住む地域の一宮になる吉備津彦神社界隈を紹介しましょう。
このあたりは2018年に
「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま 〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜
として、日本遺産に認定されました。
桃太郎伝説の地とされる場所は日本各地にあるので、はっきりと"「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま"と認定されたことに地元民もビックリでした。
その昔、岡山は吉備と呼ばれ、弥生時代や古墳時代の遺跡が多数残っており、古代吉備王国の繁栄をいまに伝えています。
これらの遺跡の特徴から吉備津彦命(考霊天皇の皇子)が温羅と呼ばれた鬼を退治する伝説の舞台となっており、この伝説が桃太郎伝説の原型と伝わっています。
吉備津彦神社は「吉備の中山」を背に鎮座する推古天皇の時代に創建されたと伝わる神社です。
ご祭神は吉備津彦命で、大和朝廷の命により吉備の国を平定し、吉備を納めた屋敷跡にこの社殿が建てられていると云われています。
訪れた日は11月になったばかりで七五三のちびっ子達が闊歩していました。
後ろに見えるのが拝殿になります。
おみくじは、かわいらしい桃の形をしています。
桃は古代から魔除けの力があるとされ、古墳や遺跡からは神祭に使われたという桃の種が多く出土しています。
ちなみに桃の花言葉は「天下無敵」だとか!
鳥居のある参道から見て、随神門、その奥に拝殿、さらに奥には本殿があります。
背後に見える山が吉備の中山で、その山頂に神社の元宮さまの磐座があり、山自体が御神体と聞きます。
吉備の中山に登ると数々の遺跡を見ることができます。
夏至の日には朝日が正面の鳥居から登ることから「朝日の宮」とも呼ばれています(この写真は2019年のお正月の様子です)。
高さが11.5mもあるという燈籠です。
安政6年(1859年)に天下泰平を祈願して建立されたもので、6段造りの石段には1670余名の奉納者名が刻まれ、日本ではいちばん大きな燈籠と言われています。
下から見ただけではわかりませんが、ボランティアガイドさんの説明では燈籠の笠石だけでタタミ8畳もあるそうです。
亀島神社を背景に七五三の写真を撮っていらっしゃいました。
御祭神は市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)といわれる水の女神様です。
この神社は、随神門前にある神池に浮かぶ亀島に鎮座しています。
島の配置などに古代の自然崇拝を源とする神社の起源をうかがい知ることができるといいます。
龍王山の登山道に平行して建ち並ぶ朱塗りの鳥居は稲荷神社への参道です。
ここも撮影ポイントとして人気があります。
鳥居をくぐります。
鳥居をくぐり抜けた横には温羅(うら)神社の祠がありました。
吉備に伝わる「温羅伝説」の鬼とされる温羅は、元々は古代吉備王国を治めていました。
桃太郎のモデルと伝わる吉備津彦命と鬼のモデルと伝わる温羅が同じ場所に祀られていとは知りませんでした。
ここから上はお稲荷さんへの石段です。
随神門の手前には茶店があります。
歩き疲れたら、ここでいっぷく。
こちらでいただくのは「「たかきび団子」です。
岡山名物「吉備団子」とはまったく違いますが、桃太郎の時代のキビ団子も、実はタカキビの粉を練ってゆでたものだとか。
日本で古くから食べられている雑穀のお団子ですが、ビタミンやミネラルが豊富で低カロリーなので、いまやスーパーフードとしてもてはやされている雑穀のひとつです。
「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま 〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜
古代吉備は、大和朝廷に匹敵する勢力を誇っていたと伝わっています。
しばしば大和と対抗し屈服したことが『日本書紀』や『古事記』からもうかがえ、吉備津彦命と温羅との戦いは、実は大和朝廷と吉備王国の対立を反映したものといわれています。
■備前国一之宮 吉備津神社
・住所: 〒701-1211 岡山県岡山市北区一宮1043
・電話番号: 086-284-0031(吉備津彦神社)
・アクセス: (車)山陽自動車道岡山ICから約10分または、岡山自動車道岡山総社ICから約15分/(電車)JR備前一宮駅から徒歩約3分
・駐 車 場 普通車100台