キーワードで検索
前回は「備前国一之宮 吉備津神社」を紹介しましたが、今回は神体山と仰がれる背後に聳える山へ登ってみましょう。
ここから登山口になります。
吉備の中山は、多くの古墳や古代祭祀遺跡が残り、神体山として信仰がなされていたことを物語っています。
いくつかの散策ルートがありますが、今回は吉備津彦神社から最高峰の北峰・竜王山(標高175m)、茶臼山(160m)を歩き備中一宮の吉備津神社へおります。
前回紹介したお稲荷さんへの真っ赤な鳥居と温羅(うら)神社がチラッと見えますね。
石の鳥居の隣にあるのが温羅(うら)神社の祠です。
登山道を上っていくと、階段の上のお稲荷さんも見えてきます。
しばらく歩くと「藤原成親の供養塔」があります。
藤原成親は上流貴族ですが、平家物語に出てくる「鹿ケ谷の陰謀」で俊寛等と平家打倒の謀議を計ったことから、備前国に流罪となりこの地で亡くなっています。
この供養塔の下は、なんと横穴式古墳でしたよ~。
このあたりから本格的な山道になっていきます。吉備の中山は清少納言の「枕草子」の中にも出てきます。
「山は小倉山。三笠山……」と続き、伊吹山、手向山、三輪の山、葛城山など有名どころの中に都から遠く離れた吉備の中山が入り、そのあとには嵐山が続きます。
清少納言が吉備の中山に登ったということはないでしょうが、昔は都人にも知られるほど有名だったのでしょう。
孝霊天皇の皇子のお墓があるからでしょうか?
ここから龍王山の頂上を目指し、注連縄の下をくぐります。
15分ほど登ると龍王山の山頂に到着~!
ここは吉備津彦神社の末社で八大龍王を祀る龍神社があります。
龍神社です。古代には日照りが続くとここで雨乞いの儀式をしたと伝わっています。
この祠は江戸時代、天明の飢饉の時に奉納されたものでした。
龍神社の両脇には「経塚遺跡」がありました。
ここから鋳銅製の経筒がふたつ発掘されたそうですが雨乞い祈祷のたびにこの経塚から取り出して使っていたところ
、ひとつ盗まれてしまったそうです。
神様のものを盗むなんて、罰当たりな!
すぐ近くには注連縄で結界を張られ、幽玄な雰囲気をたたえる元宮磐座(いわくら)がありました。
元宮とは、吉備津彦神社の社殿が建てられる以前の神社の姿で、古代に祭祀が行われていた場所とされます。
龍王山から下界を眺めます。
信じられないけど、この磐座が祀られた頃は、この一帯は吉備の穴海(あなうみ)という海でした。
吉備津の「津」には港という意味があることを聞いたことがあります。
この山頂でお弁当を食べて休憩をとります。
今回は長くなるので「その2」に続きますね。