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前回の【日永の追分】の追記編です。
実はこの【日永の追分】は地元に詳しいN・Oさんに人気のある水スポットとして教えていただいたのですが、あとで調べてみると東海道五十三次の中でも重要なスポットであったと判明しました。
画像提供:三重県立美術館
歌川広重「丸清版・隷書東海道五十三次」より (四日市・日永村追分 参宮道)
現在の《日永の追分》
上記は、三重県立美術館に所蔵されている有名な歌川広重の東海道五十三次の浮世絵版画に登場する場所でもありました。
画像提供:三重県立美術館
こちらの三重県立美術館(三重県津市)所蔵品の中に【日永の追分】があります。
(出典元:三重県立美術館所蔵品一覧より)https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/
ホームページ>コレクション>所蔵品検索>作者から探す>(あ行)>う 歌川広重>館蔵作品 「丸清版・隷書東海道五十三次」より
(四日市・日永村追分 参宮道)
***後日、三重県立美術館も取材させて頂く予定をしております。ご協力ありがとうございました。***
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ちなみに歌川広重とは、有名な江戸の浮世絵師で安藤広重とも表されることもありました。
1797年生誕~1858年没。
代表作は今回取り上げている《東海道五十三次》や《名所江戸百景》など。
大人気の浮世絵師で西洋画家のゴッホや印象派の巨匠・モネなどにも影響を与えました。
有名な「向日葵」を描いたゴッホは歌川広重を模写したことで知られています。
画像提供:三重県立美術館
歌川広重「丸清版・隷書東海道五十三次」より (日本橋)
この日本橋(江戸)は東海道五十三次の出発点です。
そして43宿目が当時・伊勢国にあった四日市でした。
当時、東海道五十三次は非常に人気の高い題材であり、歌川広重の作品だけでも30種類あまりの木版画シリーズがあったそうです。
描かれる宿場数や大きさ、デザイン等、多種多様であったようです。
その一つが今回の丸清版・隷書東海道五十三次であり、43宿目・四日市は《日永の追分》が描かれています。
(描かれている宿数が異なるため、この《四日市・日永村追分 参宮道》は東海道四十四と明記されています。)
この《日永の追分》=歌川広重の《四日市・日永村追分 参宮道》は、伊勢街道と東海道が交差する場所にある大きな鳥居が特徴的です。
当時の有名なランドマークであったように思われます。
また歌川広重の東海道五十三次シリーズは日本文化として西洋絵画に大きな影響をを与えました。
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モネにいたってはこだわって造らせたという日本風の太鼓橋を「ル・ポン・ジャポネ(日本橋)」と呼び、自邸のウォーター・ガーデンに架けました。
日本の浮世絵に描かれた太鼓橋を模したものと言われています。
(上記の日本橋でしょうか・・・モネが歌川広重を好きだったことも含めて、歌川広重の東海道五十三次シリーズの中にある日本橋にはほぼ間違いないように思えます・・・)
余談ですが、有名な「睡蓮」連作はウォーター・ガーデンと呼ばれたこの日本風庭園から生まれました。
現代、私たちの身近なところでの歌川広重はお茶漬け海苔の永谷園・東海道五十三次カード(浮世絵版画)が有名ですね。
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『丸清版・隷書東海道五十三次』より(四日市・日永村追分 参宮道)は、この当代きっての浮世絵師のひとりである歌川広重によって描かれた版画。
お伊勢参りを代参したといわれている「おかげ犬」の姿も見えます。
お伊勢さんを目指す旅の途中なのでしょう・・・。
当時、大人気であったお伊勢参りは日本人が一生に一度は行きたいと願う旅でした。
多くの人達の夢でもありました。
東海道を忙しく行き来する人達でも行ける人、行けなかった人がいる中、伊勢神宮参道に通ずる道と東海道の交差する場所に鳥居を置いて、伊勢神宮参りで得られるご利益があるようにと遥彼方から伊勢神宮を思ったそうです。
この浮世絵版画には、東海道五十三次・宿場町四日市の当時のにぎわいと、伊勢神宮に通ずる鳥居からお伊勢参りを願う人たちのそれぞれの思いが描かれています。
意外なところで見つけた意外な歴史的スポットでした。
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次回は人気のパワースポットでもある椿神社に。