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前回紹介した鬼ノ城から北北西に3kmほどの岩屋地区には、「鬼の差し上げ岩」という巨石があります。
鬼ノ城から車で10分余りですが、温羅伝説に興味があれば、清々しい山の中を歩いて行くのをおすすめします。
伝説に関連するさまざまな遺跡に遭遇することができますよ。
鬼ノ城の駐車場から山道の階段を登りかけると「岩屋三十三観音」の看板があります。
周遊すると6.5km、3時間半ほどかかります。
歩き始めると、さっそく観音様にご対面。
赤い前垂れをつけて、なんだかお地蔵さまみたいですね。
石段道を登りきるとあたりが開け、眺望がよくなり、下界が見下ろせました。
歩きやすい、なだらかな上り坂が続きます。
岩屋観音の中心、岩屋寺は平安時代、文武天皇の皇子が開祖した古刹で、山岳仏教の名残りが山中のいたるところにあります。
観音様だけでなく丁石もところどころ残っています。
右へ曲がると皇の墓です。誰のお墓か気になったので帰って調べてみたら岩屋寺の開祖の皇子、善通大師の墓だそうですが、一説には鬼ノ城の鬼と言われた温羅(うら)の胴体を埋めた場所ではないかとも伝えられています。
ここにも観音様が鎮座しています。
方位岩。その隣には汐差岩です。
このあたりから巨石群が目立ちはじめました。
「馬頭観音」に到着しました。標高は465mで一番高い場所です。
岩屋一帯の三十三観音道は、江戸時代に信仰のため整備されたそうです。
山岳霊場にふさわしい幽玄な雰囲気が感じられますね。
これは「鬼の餅付き岩」真上にちょっと窪みがあります。
「八畳岩」「鯉岩」次から次へと巨石が出迎えてくれます。
岩屋周辺の石は花崗岩が風化し、固い岩盤がむき出しになってできたものだそうです。
鯉岩からは、足下が岩場のようになり、滑らないように注意をしながら巨石の間をを縫うように降りていきます。
降りきったところにある岩が「鬼の差し上げ岩」です。
伝説では温羅がこの巨大な岩を差し上げて巌窟を造り、棲みついたと言われています。
案内板によると、岩窟の屋根の部分にあたる岩の大きさは縦15m、横5m、厚さ5m。
「岩屋」の地名もこの岩窟に由来するそうです。
岩を持ち上げる際についたとされる温羅の手形や、岩に彫られた不動明王像もあります。
最近はパワースポットとして注目を集め、三十三観音も岩屋から鬼ノ城山を取り囲むように点在しているので、巨石群を巡る散策ルートとして訪れる人も増えています。
現在の岩屋寺は、毘沙門堂と小さな本堂を残すだけの寂れたお寺でしたが、平安時代末期には新山寺(現在の総社市黒尾)とともに山岳仏教の拠点となり、盛時には岩屋寺と新山寺、あわせて38坊を擁する地方でも屈指の霊場であったといいます。
しかし戦国時代の戦乱によって寺勢は衰え、寺の伽藍もほとんど消失したと伝わっています。
また、鬼ノ城へ登る途中には、先ほど記しました新山寺のあった新山集落に直径1.8mもある「鬼の釜」というものがあります。
伝説では、鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)が使っていたと伝わる釜です。
鋳型で作られた大釜で、上・中・下三段の横方向と、各段10片の縦方向の鋳造痕が認められる総社市指定の文化財になっています。
岩屋寺とともに新山寺は山岳仏教の聖地として、東の叡山と肩を並べるほどと云われていましたが、いまは山門の礎石、古瓦が散在するなどで昔の面影はありません。
鎌倉時代には、東大寺の再建に力を尽くした重源上人が、この備中別所に浄土堂一宇を建てたと伝わっていて、この「鬼の釜」は、そこで使用された湯釜ではないかとも考えられています。