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こんにちは。
前回は旧藤田村の干拓を交えて紹介しましたが、チラッと出てきました藤田傳三郎ゆかりの神社を紹介します。
藤田神社は、伊勢神宮と出雲大社の両方の神様をお祀りする珍しい神社です。
児島湾干拓事業の成就と干拓地の鎮魂、地域住人の民福を願い、大正4(1925)年に、実業家の藤田傳三郎、長男の平太郎によって建立されました。
藤田地区一帯は、耕地2万5000ヘクタールのうち、2万ヘクタールが干拓によって作られた土地です。
パッチワークのような広大な土地は、米や麦畑が広がる一大穀倉地帯で、藤田神社はこの広大な地域の守護神です。
拝殿には藤田傳三郎氏の等身大のパネルがありました。
比べてみたら私の身長とほとんど同じです! 私の身長は156cmなので、明治時代の男性でも小柄な人だったのではないでしょうか?
彼の経歴を調べてみたら、萩の出身で高杉晋作を師事し、騎兵隊へ入隊したり、桂小五郎、井上馨らとも親交があり、長州藩が持っていた大阪までの軍用武器運搬を一手に引き受け、藤田傳三郎商社を大阪にて興しています。その当時は三井、三菱と肩を並べる財閥だったそうです。
藤田観光、東洋紡、関西電力、大成建設、南海鉄道・山陽鉄道、毎日新聞社などの礎を築き"東の渋沢栄一・西の藤田傳三郎"とも呼ばれていたそうですよ。
藤田では藤田伝三郎自体、神さまのように崇められています。
私が卒業した小学校も干拓地の外れにありました。学校の歴史は、彼の功績を避けては語れないほど創立記念日のたびに耳にしました。
児島湾の干拓は、岡山県による公共事業として進められていました。しかし、干拓事業のスケールの大きさのため資金繰りがつかず継続を断念します。
そんななか、立ち上がったのが大阪で財閥としてゆるぎない地位にあった藤田財閥(藤田組)でした。困難極まる干拓事業を藤田家の私財を投げうって成功させたと聞いています。
今年2021年はお彼岸の頃から藤田神社の桜も咲き始めました。
3月に入り阿部池周辺の河津桜のレポを書いていますが、この河津桜を植えて児島湖周辺を河津桜の里にする活動をされている会社がDOWAホールディングスといい、藤田傳三郎が興した藤田組の現在の会社名です。
拝殿の横には、毎月第1土曜日に「ご縁日」というワークショップやハンドメイド雑貨、軽食販売などの縁日をしているようでした。次は4月4日ですね。感染症対策もとられているようなので気になっています。