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五月晴れの空が広がる宇治橋からの眺めです。
ここからの眺めは、何処か嵐山・渡月橋の景色にも似ています。
宇治橋は、大化2(646)年に架けられた日本最古の橋だそうです。
もともと宇治の地は、平安貴族の別荘が営まれていたリゾート地でした。
宇治の地は京都と奈良の中間地点辺りにあり、宇治の地名は、時の政権が大和から見て、ここまでが「ウチ」。
という表現が「ウチ」から「ウジ」になったとも言われています。
《橋のたもとに建つ紫式部像》
宇治は源氏物語の舞台でもあり「源氏物語・宇治十帖」は 浪々と流れる宇治川を舞台に描かれていました。
宇治川の中洲の橘島にはいくつかの橋が架かっています。
「観流橋」「中の橋」「橘橋」「喜撰橋」「中の橋」、一番存在感のある橋は中洲に架かる橋の「朝霧橋」です。
平等院に入りました。
5月初めの今、観音堂の横に設けられた藤棚では、約1万本の藤の花が咲いています。
藤の樹齢は300年以上。
紫の優雅な花房は長さが1m以上に及ぶものもあり、花越しに国宝の鳳凰堂がのぞめます。
今の平等院の藤は見頃が過ぎた状態で(2021年5月3日撮影)、平等院のウェブサイトによると今年の平等院の藤の見頃は4月16日~4月24日でした。
藤棚から浄土式庭園を巡り鳳凰堂前に来ました。
《平等院が建てられた時代》
平等院が建てられたのは、平安時代(1052年)に、繁栄を極めた藤原道長の別荘を、息子の藤原頼道が寺院としたのが平等院でした。現存する数少ない浄土式庭園の代表であり、建物から仏像にいたるまですべて国宝に指定され
1996年には世界遺産に指定されています。
平等院の創建は「末法」元年の1052年に建てられています。
そして1053年には阿弥陀如来座像を安置する中堂、左右の回廊並びに背後の尾廊からなる阿弥陀堂が建てられます。
平等院の名の由来は、太陽がすべての人を分け隔てなく等しく照らしているように,
仏の救済もすべての人に与えられることを意味して名づけられているそうです。
《「末法」元年に建てられた平等院》
仏教は飛鳥時代に日本に伝わり、平安前期に広がりましたが、平安時代後期になると、「末法思想」が広く信じられるようになったそうです。
「末法思想」とは、仏の教えが廃れ修行者も悟る者もいなくなると言われる思想です。
それは20世紀末に「ノストラダムスの予言」が信憑性をもってささやかれたように、末法思想では、正法・像法・末法の期間があり、1052年に日本では末法が到来すると考えられていました。
ちょうどその頃に重なるように、疫病や自然災害や人災が続いたため、人々の不安は一層深まりこの世の終わりとさえ言われるようになりました。
《968年前の人々が思い描いた「極楽浄土の姿」》
鳳凰堂の建物は、鳳凰の鳥が舞い降りた形を、表現していると言われています。
建物は両側に鳥の羽根のように、建物が延び 背後には鳥の尾のように尾廊(びろう)がついています。
万人を極楽浄土へ……との願いを込めて建てられた平等院鳳凰堂。
969年の時を経て、その思いと建築美にただただ見入ってしまいます。
鳳凰堂前に広がる阿字池(あじいけ)と州浜は、極楽浄土にあるとされる宝池を表したものとされています。
ここからの眺めを、平安時代の歌人・橘俊綱は「当代きっての光景である」と詠っています。
《10円玉と一万円札に見る鳳凰堂》
10円玉でおなじみの平等院鳳凰堂ですが、明治の頃の鳳凰堂の姿です。
昭和26年当時の最高額の硬貨は10円玉でした。
また、現在の1万円札の裏側にはお堂の上に乗っている鳳凰の姿があります。
「鳳凰」は想像上の鳥。
極彩色で、霊泉を飲み、不老不死、甦りの象徴と言われ、愛と平安を運んで来る伝説の鳥です。
コロナが収束したら、ぜひ現地で確めてくださいね。
《鳳凰堂の屋根の鬼瓦は50以上》
鳳凰堂の屋根は角が多いデザインのため、魔の進入阻止としてあらゆる場所に魔除けの鬼瓦が設けられています。
鳳凰堂の鬼瓦は50以上あるそうです。
以上、5月初めの平等院でした。
【平等院】
・住所: 京都府宇治市宇治蓮華116
・アクセス: JR/京阪「宇治」駅から徒歩約10分
・開園時間 8:30~17:30(入園は17:15まで)
・定休日: なし
・入園料: 大人 600円、中学生 400円、小学生 300円