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京都御苑の東の寺町通に建つ蘆山寺。
山門前の「桔梗咲いています」の文字にさそわれ、境内に入りました。
「蘆山寺」は、平安時代の天慶年中(938~947年)船岡山の南に創建されたのが始まりです。
鎌倉時代の寛元元年(1243)法然の弟子・覚瑜が船岡山の南麓に再興し、中国の廬山にならって廬山天台講寺と称しました。
蘆山寺は室町時代の応仁の乱やたびたびの火事でいくども消失しましたが、そのたび再興されてきました。
明治維新までは「御黒戸四箇院」という宮中の仏事を司る四か寺のひとつでした。
しかし廃仏毀釈により宮中から天台宗預かりとなり、明治天皇の勅命によって蘆山寺だけが復興されて今日に至っています。
《堤邸(つつみてい)》
この地は、平安時代の歌人・女流作家、紫式部の住居があった場所でもあります。
紫式部は藤原北家の越後守・藤原為時の娘として生まれました。
ここは鴨川の西に接していることから「堤邸」と呼ばれました。
本堂前の庭は、「源氏庭」です。
庭は、白砂と苔によって構成された庭で、白砂が「庭に浮かぶ雲」を表現しているそうです。
《夏の花・桔梗》
桔梗は「秋の七草」のひとつにあげられますが、6月下旬頃から10月頃まで長期にわたって長く咲く花です。
花は7月頃と9月頃の2回見頃を迎えますが、9月よりは7月の方が多くの花が咲きます。
桔梗は、秋の花のイメージがありますが夏の花です。
では、どうして蘆山寺の庭に桔梗なのかと言うと、源氏物語の「朝顔」の巻に由来しています。
この頃の朝顔の花とは、桔梗のことを指すそうで、そのことから源氏庭には桔梗が咲いています。
紫式部は長徳4年(998)頃、藤原宣孝と結婚し長保元年(999)に一女・藤原賢子をもうけます。
そのときも堤邸で生活したといわれています。
しかし結婚生活は短く、長保3年(1001)に夫・宣孝と死別してしまいます。
その後、寛弘2年(1005)頃から寛弘8年(1012)頃まで一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の長女)に女房、家庭教師役として仕えました。
この時期に源氏物語を書いたといわれています。
紫式部は人生の大半を、ここ堤邸で過ごしています。
以上、桔梗の咲く蘆山寺でした。
【蘆山寺】
・住所: 京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
・拝観時間: 9:00~16:00
・拝観料: 大人・大学生・高校生500円、中学生400円、小学生以下無料
・アクセス: バス停・府立医大病院前下車(徒歩約3分)
・駐車場: 数台分有り