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前回は早島町の「早島・倉敷花ござまつり」をご紹介しましたが、早島町の伝統的な産業は藺草の栽培と畳表でした。
今でも早島といえば「いぐさの町」として力を入れていますが、2000年には早島町の藺草栽培面積はゼロとなりました。
この写真の藺草は、早島町役場と公民館との間にあった水田に伝承のために残されていてたものを7年前に(2015年)に撮影したものでした。今年、このレポに載せようと行ってみましたが、稲作の水田になっていました。
私が小学生の頃、岡山の特産物のひとつとして、日本一の生産量を誇るのが藺草と習いましたが、今では昔話になってしまたようです。
写真は、藺草の先端を刈りそろえた後で、かつてはこの辺りの初夏の風物詩でした。
梅雨が明けると「ゆかり」という刈り取り作業に、県外からも、ゆかり人夫と呼ばれる人達が出稼ぎに来ていたと聞いたことがあります。
これが刈り取って泥をつけ乾かした状態の藺草です。
私が10代の頃は、まだ刈り取ったばかりの藺草に泥土を浸し、炎天下のアスファルトの道に並べて乾燥させる風景を見ることができました。この町で生産された畳表は「早島表」とも呼ばれていたそうです。
知り合いの40代の畳屋さんに聞いても、岡山産の畳表を使って畳を作ったのはたったの一度だけで、その畳表もその家の蔵で保存されていたものを使われたそうです。今では蔵の中で眠っている畳表があったとしても保存状態が怪しいですよね。
現在、本物の藺草をこの目で見たい! と思ったら「早島・倉敷花ござまつり」で手に入るこんな、苔玉の藺草はいかがでしょうか?
夏にぴったりの涼し気な苔玉です。
地元に鶴崎神社という藺草にゆかりのある神社があるので行ってみました。
参道にゆかりの常夜燈があるというのですが、わからなくて住職さんに教えていただきました。
この常夜燈は安政3(1856)年、早島、江戸、大阪の畳問屋が江戸までの航海の安全を祈願して奉納された一対の常夜燈です。
常夜燈の横には、早島の藺草で織られた畳表は「早島表」というブランド名がつき、全国に出荷されていたことが記されていました。
江戸時代の小説家・滝沢馬琴も本の中で「早島畳」といえば、畳表の一流の証ということを記載しているそうです。
常夜燈のある場所は、今は裏参道ですが、かつては児島湾を一望できる開けた地なので、この道が表参道だったのかもしれないと思いました。
この早島町は藺草が中心になって、文化や伝統産業が栄えていったことがよくわかる場所でした。