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暑いですね。京都も連続の猛暑日が続いています。
京都の暑さは「油照り」と例えられる様に盆地特有の、まとわりつくような暑さです。
15日の朝、東山「八坂の塔」(法観寺)の辺りを散策して来ました。
東大路通りから八坂通へと入ると、46mの八坂の塔が現れます。
狭い石畳の道の奥に凛として建つ姿は格別です。
八坂の塔の歴史は古く、飛鳥時代に聖徳太子が建てた、日本最初の五重塔といわれています。
その後、八坂の塔は戦いや落雷で三度焼失。
現在の塔は、室町将軍の足利義教によって1440年に再建され今に至っています。
江戸時代初期には、観光の名所だったらしく当時の名所案内には絵入りで
紹介されていたそうです。
幕末の頃は、坂本龍馬さんや新撰組の人達も、この塔を見上げながら東山界隈を駆け抜けていたのでしょうね。
夏の今、百日紅が綺麗に咲いています。
八坂の塔から二年坂(二寧坂)三年坂(産寧坂)へと歩きます。
お盆の早朝ということもあり、静かな世界が広がっていました。
二年坂から三年坂の辺りは、古くから清水寺の参道の一部として栄えてきました。
坂道の両側には、京都らしい和風の建物が並び、その多くが土産物店です。
東山界隈には坂道が数多くあります。
清水寺への参道は「清水坂」。そこに連なる二年坂(二寧坂)三年坂(産寧坂)。
そのすぐ近くには「一念坂」もあります。
また清水坂の南には清水焼のお店が軒を連ねる「ちゃわん坂」という坂もあります。
八坂の塔が建つこの一帯は八坂とよばれているように、坂道の多い所でもあり、
八坂という地名も、その昔この辺りに8つの坂があったことに由来するとか。
二年坂・三年坂の由来ですが、戦国時代の武将・豊臣秀吉の妻、「ねね」の
菩提寺(お墓があるお寺)は高台寺ですが、当時近くに住居を構えていた「ねね」は、
無事に元気な子供が生まれることを願って、この坂を上がり清水寺にお参りしていました。
そのことから、安産を願う文字を当てはめて「産寧坂(さんねんざか)」と
よばれるようになり、その下の坂を「二年坂(二寧坂)」と呼ぶようになったと伝えられています。
以上、15日朝の東山でした。