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京都御苑の東の寺町通に建つ蘆山寺。
山門前には「桔梗咲いています」の文字。
「蘆山寺」は、平安時代の天慶年中(938~947年)船岡山の南に創建されたのが
始まりです。蘆山寺は室町時代の応仁の乱やたびたびの火事で
いくども消失しましたが、そのたび再興されてきました。
明治維新までは「御黒戸四箇院」という宮中の仏事を司る四か寺のひとつでした。
しかし廃仏毀釈により宮中から天台宗預かりとなり、明治天皇の勅命によって
蘆山寺だけが復興されて今日に至っています。
《堤邸(つつみてい)》
この地は、鴨川の西に接していることから「堤邸」と呼ばれました。
そして、ここは平安時代の歌人・女流作家、紫式部の住居があった場所
でもあります。
紫式部は藤原北家の越後守・藤原為時の娘として生まれました。
そして59歳で亡くなるまでの間に、有名な「源氏物語」をはじめ、
「紫式部日記」や「紫式部集」などの数々の名作を執筆したといわれています。
本堂前の庭は「源氏庭」です。
庭は、白砂と苔によって構成された庭で、白砂が「庭に浮かぶ雲」を
表現しているそうです。
《夏の花・桔梗》
桔梗は、秋の花のイメージがあり「秋の七草」のひとつにあげられますが、
6月下旬頃から10月頃まで長期にわたって長く咲く花です。
花は7月頃と9月頃の2回見頃を迎えますが、9月よりは7月の方が
多くの花が咲きます。
では、どうして蘆山寺の庭に桔梗なのかと言うと、源氏物語の「朝顔」の巻に
由来しています。
この頃の朝顔の花とは、桔梗のことを指すそうで、そのことから
源氏庭には桔梗が咲いています。
紫式部は長徳4年(998)頃、藤原宣孝と結婚し長保元年(999)に
一女・藤原賢子をもうけます。
そのときも堤邸で生活したといわれています。
しかし結婚生活は短く、長保3年(1001)に夫・宣孝と死別してしまいます。
その後、寛弘2年(1005)頃から寛弘8年(1012)頃まで一条天皇の
中宮・彰子(藤原道長の長女)に女房、家庭教師役として仕えました。
この時期に源氏物語を書いたといわれています。
紫式部は人生の大半を、ここ堤邸で過ごしています。
《蘆山寺》
〇住所 京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
〇拝観時間 9:00~16:00
〇拝観料 大人・大学生・高校生500円、中学生400円、小学生以下無料
〇アクセス バス停・府立医大病院前下車(徒歩約3分)
〇駐車場 数台分有り