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こんにちは~。岡山特派員のmamiです。
前回から引き続き、柵原ふれあい鉱山公園からお伝えします。公園の中には『柵原鉱山資料館』があります。
昭和30年代、ここ柵原は東洋一と謳われた鉱山の町で県下でも、ひときわ異彩を放った町だったようです。
柵原鉱山の硫化鉄鉱は高品質で硫酸の優れた原料として、日本の科学重工業の発展に伴い各方面で重用され、昭和30年代、鉱山で働く人だけでも3000人を超え町は大いに賑わったといいます。片上鉄道ができたのも片上港へ鉱石を運ぶためでした。
中でも驚いたのは3000人を収容する集会所があったこと!
現在の倉敷や岡山市民会館よりも1000人以上が入ることのできる大規模な施設があったということです。当時を知る知人は、「歌手や芸能人は、ほとんど柵原にコンサートに来てくれた。」と話してくれました。
また、日用品の品揃えを誇った供給所も県下一で、公園内にあるカフェのオーナーさんによると「岡山になかったら柵原に行け。」という言葉があったそうです。
この建物の中では、当時の鉱山の町の賑わいを体験できる街を再現していました。
下階はそのまま掘削した坑道の跡で、当時の掘削作業機の実物も見られました。
写真撮影ができなかったので片上鉄道保存会の資料館のHPからどうぞ。 → ★
坑道は巧妙に設計され、採掘された鉱石は、中央竪穴から地上に運びあげられ、選鉱場で選別され、高瀬船や鉄道で各地の精錬所に運ばれたました。
柳原鉱山竪鉱櫓のレプリカ。
40年代に入ると海外から安価な鉱石が輸入され、工場の廃ガスから硫酸を回収する新技術も開発され、需要は次第に減少し、1991年、ついに柵原鉱山は閉山します。
一方、閉山後の鉱山では、今も坑道から出る酸性の鉱水を中和し、吉井川に流す作業が続けられているという説明もあり驚きました。
閉山で終わりではないのですね。