キーワードで検索
歴史と酒造りの街として栄えてきた伏見の町。(3月26日撮影)
今も多くの酒造メーカーの酒蔵が並んでいます。
京阪電車の中書島駅を出ると、すぐに太閤秀吉が伏見城の
城下町として発展させた伏見の街があり
伏見城築城のために宇治川から引かれた水路・濠川(ほりかわ)があります。
文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の指月伏見城築城にともなう建築資材を運ぶため、
宇治川の流路改修工事により宇治川派流として濠川(ほりかわ)は作られました。
江戸時代の濠川沿いには問屋、宿屋、酒蔵が建てられ、米や薪炭、できた酒などを運ぶ小舟が往来し、
総称して伏見浜(港)と呼ばれていました。
また参勤交代の時、西国大名は淀川から伏見港に入り大名屋敷で支度を整え
伏見街道から江戸へ向かったそうです。
濠川沿いを歩くと、寺田屋近くには龍馬・お龍の銅像があります。
龍馬は薩長同盟を締結させた直後の慶応2年(1866年)、
近くの旅籠・寺田屋に宿泊していましたが、伏見奉行所配下の捕り手に囲まれます。
この時、危機を察知したお龍により命を救われた龍馬は、
しばらく伏見薩摩藩邸にかくまわれていましたが、右手の傷を癒すため寺田屋浜から
三十石船に乗り、お龍とともに九州の霧島へと旅立ちました。
龍馬の生きた時代、濠川はほぼ今の様な水路だったそうです。
龍馬を思う「伏見・濠川」の桜・・・・・
今年も見事に咲いています。