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こちらは西江邸といいます。今から300年以上も前に建てられた住宅です。このお宅は本山鉱山を開抗し、ベンガラの原料となるローハとベンガラの大量生産を行った豪農商です。研究の末、陶磁器用の赤絵付け顔料のベンガラ製造に成功したといいます。もしも、西江家のベンガラがなかったら伊万里焼のあの艶やかな赤色は、今とは違う品質だったかもしれません。それだけに文化庁の「ジャパンレッド発祥の地 弁柄と銅の町 備中吹屋」として日本遺産の構成文化財の一つとして認定されています。
県道33号(新見川上線)沿いに西江邸はあります。広い駐車場があるので、そこから坂道を歩いて登ります。ただ、高齢者やハンディキャップを持つ方のために坂の上の邸宅前にも数台の車が停められます。
思ったよりも急な坂道が長く続きます。そうそう、この西江家は請負代官をしていた家柄で、ベンガラ製造にも携わっていましたが、今でもご家族の方がお住まいになっています。雪の積もった冬場にこの坂道を上るのは、敷地の内とはいえ大変でしょうね。
坂道の木立の向こうに川をはさんで神社のようなものが見えました。ちょっと、気になります。
やっと、楼門が見えてきました。敷地は敷地3000坪あり、創建は1704年といわれています。
が、ここでやっちゃいました。コロナ禍の現在、見学は2日前からの予約制になっていたのです。今回は外から惣代庄屋としての豪農ぶりを見てみましょう。
江戸期には天領地の支配を許されて、代官御用所を兼ねていたそうです。そのため、郷蔵・お白洲跡・駅馬舎・手習い場などが今も残っています。こちらの建物も吹屋の町並み同様、石州瓦を使い石州宮大工によって建てられています。この貴重な歴史的文化建造物である邸宅は代々受け継がれ、現在は18代目の当主がお住まいです。一時は安い工業用酸化鉄に押され、ベンガラ製造を中止しましたが、現在の当主が九州大学との研究の末、公害の出ないベンガラを再興させました。
ここでは邸宅の見学だけではなく、ベンガラ染体験もできるそうなので、次回は時間に余裕をもって予約をして出かけたいと思いました。
駐車場に下りてきました。坂道の途中で見えていた神社が気になっていたので向かいます。坂本川沿いには燈籠が並び、夜には幻想的な風景になりそうですね。前回の広兼邸ではマイ神社を建立していたので、こちらの神社は西江邸のマイ神社なのかな?と気になっています。
橋の袂には、「坂本歴史民俗資料館」がありました。現在は閉館していましたが、西江家の分家と聞いています。
坂本というのはこの地域の名前です。ベンガラ製造で財を成した一方で、ベンガラを造る過程で、緑礬(りょくばん)の汚染水が田畑に流れ、公害問題を引き起こしたという歴史もあるそうです。開館していればこの地域のことが詳しくわかったのに残念です。
千人以上の人が働いていたという吉岡銅山跡もこの近くです。前回ご紹介した「笹畝坑道」はこの吉岡銅山まで坑道が延びていたというのですが、地図では直線距離でも4㌔近くあります。坑道はこの辺りの地下を縦横無尽に通っているのでしょうか?吉岡銅山跡には今も選鉱場跡や坑道入り口も残っているといいます。
ここが坂道から見えていた「辰口八幡宮」です。弘安2年(1279)豊後国(大分県)の宇佐八幡宮の御玉串をいつき帰り、龍ノ口山に鎮祀したのに始まるといいます。弘安というと鎌倉時代の頃ですね。
地元の鎮守の神社といった存在でしょうか。山の中腹に張り付くように建てられた建物でした。