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篁牛人記念美術館は、富山市民俗民芸村の中にあります。ロケーションは富山平野の中央を南北に走る呉羽(くれは)丘陵の一部。
アクセスはとても簡単で、富山駅前7番のりばから富山地鉄バスの新桜谷町行きに乗車。「富山市民俗民芸村」で降り徒歩5分で到着です。
歴史文化の学習と憩いの場を一体化させた富山市民俗民芸村には、民芸合掌館や考古資料館、売薬資料館など9つの施設が集合しています。
その1つが、今回ご案内する篁牛人記念美術館!
入口では美しいガラス壁面に出迎えられます。
作者の名田谷隆平氏によるコンセプトは「牛人が愛した呉羽山から見た立山連峰への眺望を抽象的に表現したもの」で、制作は富山ガラス工房。
「富山の薬売り」で有名だった富山では、薬を入れる容器としてのガラス製造技術が発達。今では富山市ガラス美術館も大いに人気を博す、この地ならではの作品ですね!
入館したら、まず篁牛人の「人となり」を伝える年譜を見てみましょう。
日本画家の中でも異色の存在として知られる彼は、1901年10月10日に富山市の浄土真宗善照寺の次男として生まれました。
長じて富山県立工芸学校の図案絵画科を卒業し、図案の仕事や代用教員などの職につきます。母校卒業生で組織する「富山工芸会」の一員としても活動しましたが、やがて30代になるとピカソや藤田嗣治に影響され画家を目指すように。
39歳で絵画に専念し始めたものの、43歳で召集されシンガポールやマレーシアで転戦。復員後46歳ごろ初めて、薄手の麻紙に数点の渇筆画を描き始めます。
しかし生活が困窮し麻紙が買えなくなってしまい、渇筆画の制作を中断!
富山市安養坊(現在の美術館敷地)に移り住んだのが、牛人50歳のとき。
そして55歳だった1956年から約10年間は、富山や岐阜の知人宅を転々とする放浪生活を送ります。
絵を売り歩いて得たお金で酒に溺れていた彼でしたが、のちに最高の理解者かつ後援者となった富山市呉羽町の医師・森田和夫氏に出会ってから人生が急転!
彼の援助によって制作に打ち込めるようになり、今までの画家人生を挽回するかのように精力的に描き続けます。
しかし74歳で脳梗塞症に倒れてしまった牛人。その後は療養に専念しましたが制作は困難となり、82歳で逝去。
そして翌1985年に、森田和夫氏が自己所有の篁牛人作品252点を富山市に寄贈。これが美術館建設の契機となったのです。
卓越した技術をもって独自の画境を創りあげた牛人は、日本画壇の中でひときわ異彩を放ちます。
特定の師につかず自由奔放な生きざまを貫いた彼は「渇筆」という、にじみを出来るだけ使わず渇いた筆で墨を麻紙にすりこむようにして描く、まったく独自の画法を極めていきました。
自ら編み出した渇筆画法によって、大胆でありながら繊細さを併せ持つ世界を描くようになった牛人。細くて弾力のある筆線と、人物や動物などを極端にデフォルメした豪放な表現を駆使し、豪放で美しい作品の数々を生み出しました。
いっぽう作品の主題には、日本や中国の故事・仏話・伝説などを多く取り上げました。
芸術を追い求めるあまり無軌道と言えるほど奔放な人生を送った牛人ですが、仏寺の息子というバックグラウンドも深く根付いている事がうかがえます。
800点以上を収蔵する同館では、牛人が極めた水墨画の傑作以外にもユニークな作品を展示しています。
たとえば西洋絵画の影響を感じさせる「鯉のぼり」や「虎と仙人」、壮大な世界観に身近な生きものを描き入れた「乾坤(けんこん)の歌」なども、生活困窮と隣り合わせの日々に描き続けたもの。
しかしそれらの絵もなかなか売れず、制作に打ち込んでいない時は何日も酒を飲み続けていたというのだから、その奔放ぶりは筋金入りです。
60歳代になるまで挫折と放浪をくり返した彼には、自虐と乾いたユーモアあふれる作品もあります。
「烏(からす)とみみずく」は「人間のほしがるゼゼコちゅうのはコレや」と、カラスがミミズクに硬貨を見せている絵。人間風刺でありながらクスっと笑ってしまう作品です。
他にも「酒ノナイ国へイキタイ」とぼやくミミズクや、「大王サマ人間ヲヤッツケテ下サレ」と大王様に陳情するカラスなど。
これらの絵を見ていると、自分自身を投影したと思しきカラスを描いた牛人の心情にしばし想いを馳せてしまいます。
篁牛人記念美術館がある富山市民俗民芸村には、全部で9つの施設があります。
・民芸館
・民芸合掌館
・陶芸館
・民俗資料館
・売薬資料館
・考古資料館
・篁牛人記念美術館
・茶室円山庵
・とやま土人形工房
それぞれ施設名が表すとおり、富山市の文化と歴史を見て学べる充実した内容です。
移築した古民家を活用した施設も多く、当時の暮らしぶりを再現した展示にはノスタルジックな美しさが漂います。
また「富山のくすり売り」として日本全国に名をはせた売薬業に関する資料館には、移築した売薬商家の土蔵もあります。古民家ファンには嬉しいですね。
入館料は1館100円、または全館で530円(高校生以下は無料)。ゆっくり時間をかけて回れる場合は全館チケットがお得になります。
周辺には五百羅漢や呉羽山展望台などもあり、富山の自然と歴史を心ゆくまで満喫できるエリアとしてもお勧め。
芸術を極めることを優先するあまり、壮年期から60代前半まで放蕩人生を送った篁牛人。その無軌道なほどの生きざまと裏腹に、彼が遺した絵は優しさと哀しみと強い精神性に満ちています。
長らく無名に近かった牛人ですが近年、改めて注目を浴びるようになった事を知ったら、彼はまたカラスの姿を借りて痛烈な風刺画を描くかもしれませんね。
呉羽山の豊かな自然に囲まれた富山市民俗民芸村で、そんな彼の足跡をたどってみませんか?
(記事内の画像は同施設管理センターご担当様の許可を得て掲載しております)