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モノづくりの街と知られる新潟県の燕市と三条市―その二つの街に「燕背油系ラーメン」があります。どんぶりの表面真っ白になるほど覆いつくす「背脂」、そしてその上には玉ねぎのみじん切り、麺はうどんと見まがう“超”が付くほどの極太麺が最大の特徴です。
今回訪ねたのは、週末や連休ともなれば全国から訪れる人の多い燕市の「杭州飯店」です。午前11時開店ですが、開店前からすでに十数人の人たちが店の前に並んでいました。
私がこのお店を知ったン十年前はこんな状況はなかったので、噂には聞いていたもののいささかビックリ。
いよいよ開店!ドドっと皆さん入店するのかと思いきや、2人の店員さんが人数を聞きながら「こちらのお席へ」「次の方はこちらへお願いします」と誘導。きっと店員さんの頭の中では、「テトリス」のように最も適切な形ではめ込んでいく図式があってそれにはまるようにさばいていっているでしょうね。その作業は大繁盛店ならではの華麗さと見事さです。そのお二人の客さばきのもあって、次から次へと席は埋まって、あっという間に広い店内は満席に。そして中華そば大盛り(1,000円)を注文!「もう若くないのに」の心の声は無視。そしてお客さんの注文もさまざまです。「中華そば」「大盛りひとつとギョウザ」「脂多めの中華普通ひとつに大盛りひとつ」「カレーライスと中華そば脂少な目」などなど…。その注文を店員さんはメモも取らずに厨房へ伝えます。す、すごすぎる。
丼の表面を覆う背脂に初めての方はびっくりさせられる事でしょう。よく見ると中央にはタマネギのみじん切り。さて箸を入れます…、うどんときし麺の中間のような超極太麺!いかがですか!この迫力!
私、20歳の時に初めてこの燕背脂系に出会ったのですが、その時「なんだこれ!?うどんか?浮いてる脂(背脂)は何??」とびっくりしたものです。
そんなことを思い出しつつ、まずスープを一口。動物系の中にも煮干し感がしっかりと感じられ、やわらかな醬油味。旨い!麺はというと見た通りのモチモチ感であります。若干縮れているので背脂とスープが絡んできてさらに旨い。それに見た目ほど脂っこくはなく意外にあっさりしています。
なぜこんなにユニークなラーメンが生まれたのでしょう?そのヒントはお昼時になると「○○製作所」「△△工業」などの作業着を着たお客さんが多くなることにあります。
杭州飯店のある燕市は全国屈指の金属加工の街です。特に洋食器は有名でノーベル賞受賞者の晩さん会の食器はここ、燕市で作られたものです。この背脂極太麺が誕生したのは昭和30年代のことです。当時燕の金属工場は活況にわいており、職人さんたちは大忙で、昼食や夜食は出前のラーメン中心。仕事の合間に食べるものですから、普通のラーメンだと麺は伸び、スープは冷めてしまいます。そんなラーメンは食べられたものではありません。「忙しい職人さんたちがいつでもおいしいラーメンを食べられる方法はないものか」と考えたのが杭州飯店創業者の徐勝二さんでした。
徐さんは試行錯誤を繰り返し。麺が伸びにくく腹持ちが良くなるように太麺にして、スープは激しい労働をする職人さんの口に合わせて濃い目にしました。さらに旨みを出すために大量に背脂を入れました。この背脂が“蓋”となってスープが冷めるのを防ぐ一石二鳥の役割を果たすことになりました。試行錯誤した結果、つまり職人さんへの愛とリスペクトが込められたラーメンというわけです。
そんな「背脂極太麺ラーメン」はここ、杭州飯店から燕市、そのお隣でやはりモノづくりの町・三条市へと広がり、今では新潟県内全のあちこちで「燕背脂系ラーメン」として食べられるようになりました。
そしていま、「杭州飯店」の名は全国のラーメンファンにも知られることとなり、休日になると杭州飯店の駐車場には県外ナンバーの車が並ぶのはおなじみの光景になり、燕市の観光資源ともなりました。
そして、「燕背油系ラーメン」生みの親―徐さんは地域の食文化に貢献したとして旭日単光章という勲章を天皇陛下から授与されました。
夢中になってラーメンを食べスープをすすっていると、もうどんぶりの底が見えていました。もう一杯食べたい…。料金を支払うとき、店員さんは「大盛りでしたね。1,000円です!ありがとうございました!」メモも書いていないのにすっと料金が出てきたのにびっくり!ぜひ「燕背脂系極太麺」発祥の地「杭州飯店」で、本場の味と店員さんの職人技を楽しんでみませんか?