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新潟県五泉市はニット製品の産地として知られています。その村松地区の霊峰白山のふもとにあるのが曹洞宗の「滝谷 慈光寺」(慈光寺)です。かつては多くの僧りょがここで起居しながら、修行をしていた古刹です。
慈光寺へは樹齢300~500年という巨樹の杉並木を歩いていきます。杉の保護のために車の乗り入れは禁止です。この杉並木は、戊辰戦争で西軍と戦った長岡藩家老河井継之助を描いた映画「峠 最後のサムライ」のロケ地にもなりました。
滝谷川のせせらぎの音を聞きながらうっそうとした杉並木をいくと、苔むした西国三十三観音などの石仏があり、参拝するのに心が整っていきます。この杉並木そのものがパワースポットといえます。中でも枝が竜のようになっている「竜神杉」は“気”が満ちていると感じました。
10分ほど歩くと慈光寺に到着。山門左右に回廊が伸びています。山門の正面に本堂があり、その左右には庫裏(くり)、座禅堂、経蔵など6棟が配されています。これらはすべて江戸時代に建てられたもので、国登録有形文化財です。こうした立派な伽藍(がらん)は京都や奈良などの古都ではよく見られますが、新潟県内ではまれです。
いつ草創されたのかは不明ですが、室町時代の1403(応永10)年ごろに、傑堂能勝禅師によって曹洞宗の寺として再興されたと伝わります。ちなみに、この傑堂能勝禅師は楠木正成の孫だそうです。江戸時代に寺は「越後四カ道場」のひとつとして多くの僧が各地から来て修行に励んだそうです。その名残は、修行僧たちに食事の時間を知らせた大きな木魚などあちこちにうかがえます。
座禅というと「仏様に近づくため」「自分を深めるため」にするものと勝手に思っていました。けれど慈光寺の佐藤信雄前住職によると、曹洞宗の場合は「目的はなくただ座るため」とのこと。「
人間に限らず生きているものはすべて仏のこころを持っており、すでに悟っている」からだそうです。
佐藤前住職に先導されて座禅堂へ。床より一段高いところに敷いてある畳の上には、丸いクッションのような「座蒲(ざふ)」があります。この上にお尻を乗せて体を安定させるとのこと。これなら楽勝でしょう!
上がり方をはじめ足の組み方、「法界定印(ほっかいじょういん」)という手の形の作り方や作法をひと通り教えていただき、「カンカン」と鐘が打たれ、40分間の座禅スタート!深く深呼吸をするように目の前の壁をじっと見つめます。少し時間がたったころ、前住職が姿勢を正してくれました。そのまま座り続けていると、堂内の空気の流れが分かり、木の葉が風にこすれる音、遠くの虫の音もが聞こえます。とはいえ頭の中では「あれもしなきゃ」「○○日の予定はどうなっていたかな?」などと思い始めます。しかし「無理に消そうとしないで、取り合わないで放っておく」という佐藤前住職の言葉を思い出しました。次から次へといろんなことが頭に浮かびますが前住職の言葉に従い、回答を引き出さないことにします。
しばらくすると遠雷が聞こえ、同時に虫の音がいっせいにやみました。心はすごく穏やかになって気持ちがいいです。しかし…、右ひざの上に置いた左足がしびれ始めました。それが無視できなくなってきたころ、右肩に何かがスッと置かれました。そう警策(きょうさく)という長い木の板です。姿勢が悪かったり、落ち着かなかったりする人の肩を叩き注意を促すものです。次の瞬間、「バシッ!」と打たれました。かなり大きな音ですが、痛くないです。合掌して姿勢を直して、しばらくすると「カンカン」と再び鐘の音、「終わりです」の声。作法通りに降りようとしたものの、しびれが切れて「おっとと!」―倒れそうになってしまいました。
座禅で、長いような短いような日常では味わえない時間を終えると心なしか、心がすっきりしました。今日の記念に、事前に書いた写経を納経してご朱印をいただこうと寺の売店に寄ったところ。「天狗(てんぐ)」のおみやげ」というお菓子がありました。慈光寺が創建されたとき、僧りょの一人が寺の建築に必要な巨木や巨石を神通力で運んだそうです。しかもこのお坊さん、ひとりの寺男を一瞬で京都に連れていき、祇園祭を見物させたとか…、村人は夢だと思ったそうですが、手には京都のお菓子があり、いつしか村人たちはこのお坊さんを「てんぐ様」と呼ぶようになったという伝説に由来しているのだそうです。
伝説もおもしろいのですが、寺の境内にはてんぐの手の跡と伝わるものがあります。行ったときにはぜひ探してみてください。ヒントは山門周辺です。