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「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など、テレビのホームドラマで一世を風靡し、珠玉のエッセイや短編小説も残し、没後40年を過ぎてもなお人気の高い脚本家で直木賞作家の向田邦子(1928-1981)。生前彼女が「故郷(ふるさと)もどき」と呼び愛した、鹿児島市内のゆかりのスポットをたどってみました。
〇取材日:2024年2月7日~9日
父親の転勤に伴い、少女時代の2年余りを過ごした鹿児島について、向田邦子は数々のエッセイで思い出をつづり、またエッセイ『眠る盃』の『鹿児島感傷旅行』のなかでも、鹿児島を再訪した場所について詳しく書いています。向田邦子の鹿児島再訪の旅は1979(昭和54)年2月11日~13日のことでしたので、それから45年後にあたる2024年2月に「追体験」をする形となりました。東京・羽田空港から国内線で約2時間で鹿児島の空の玄関口・鹿児島空港に到着し、まずは鹿児島中央駅へバスで移動します。
羽田から鹿児島へ定期就航している航空会社は、日本航空(JAL)、全日空(ANA)、スカイマーク(SKY)、ソラシドエア(SNA)の4社です。鹿児島空港から鹿児島中央駅へのアクセスは空港連絡バスが便利です。(鹿児島交通/南国交通運行、所要時間約40分、大人1400円)鹿児島県内の他都市や熊本・福岡方面へのバス路線もあります。
鹿児島中央駅は、九州新幹線の開業に伴い2004年に駅名を現在名に改称するまでは、ブルートレイン(寝台列車)の終着駅でもあった「西鹿児島駅」として長らく親しまれていました。各方面への市内バス、高速バス、市電などの発着が集中する東口駅前は、駅ビルの再開発も完了し商業施設、高層マンションなども隣接する一大繁華街となっています。レトロの雰囲気を今に残す市電は、向田邦子も1979年の鹿児島再訪時に乗車しています。
薩摩藩の11代藩主で島津家28代当主であった、島津斉彬公を祭る照国神社は、向田家旧宅からも歩いて5~6分程度と近く、境内の背後には城山が崖のようにそびえ立っています。境内から巨大な大鳥居方面に視界を向けると、煙を吐く桜島もはっきり見ることができます。大鳥居そばにある「照国文庫資料館」は、島津斉彬公をはじめ島津家代々の歴史や功績を知ることができます。
照国神社の境内裏にある路地を進むと長い石段の坂があり、城山公園内の展望台へ向かうことができます。展望台からは鹿児島市内を眼下に見ながら正面に桜島の雄大な姿がみられ、また天気がいい日には薩摩半島の南端にある開聞岳(かいもんだけ)も見ることができます。
向田邦子が鹿児島で過ごした家は、45年前に本人が再訪した時にはすでにアパートに建て替わっていましたが、その場所は現在も閑静な住宅街の一角にあり、「居住跡地の碑」として石碑と説明版が建てられています。当時通っていた山下尋常小学校(現在も市立山下小学校として現存)から三官橋通りを城山方面に約400m進むと跡地の案内があります。
※居住地跡周辺は一般の住宅地のため、跡地全景の写真紹介は控えます。
鹿児島ゆかりの作家を紹介している、かごしま近代文学館には「向田邦子の世界」と名付けられた専用の展示室が設けられ、向田作品の紹介だけでなく愛用の服や家具など遺族から寄贈された貴重な品々も展示されており、文学館の特色のひとつになっています。当館で毎年開催される向田邦子の特別展の図録など、一般の書店では入手が難しいものも販売されています。
メルヘン館は、世界の有名な童話の世界を子供の目線で楽しめるさまざまな仕掛けがあり、家族連れでも楽しめるミュージアムです。
「鹿児島感傷旅行」エッセイの際、向田邦子が宿泊した鹿児島サンロイヤルホテルは、現在も営業しています。部屋や最上階の展望温泉から見える桜島の景色がすばらしく、その感動もエッセイの中で触れられています。
鹿児島中央駅や天文館から無料シャトルバスも運行されており、宿泊客だけでなく、展望温泉の日帰り入浴やレストラン・宴会場利用などの目的でも利用できます。
天文館通は複数のアーケードが連なる商店街として鹿児島県で最大規模を誇り、古くから鹿児島市の繁華街として知られています。東西南北に連なった巨大なアーケードはレトロかつモダンな雰囲気を醸し出しています。鹿児島の名産品もここで味わったりお土産に買うことも旅の思い出にいかがでしょうか。
「う」の引き出しに全国の<うまいもの>情報の切り抜きを入れていたほど、おいしいものに目がなかった向田邦子がエッセイでも書いていた、さつま揚げや両棒餅(ぢゃんぼもち)など、鹿児島の名産を食べてみたいと思い探してみました。今回は下記の名産を天文館通の土産物屋で手に入れることができました。