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3月18日は「点字ブロックの日」です。「点字ブロック」は、駅のプラットホームや歩道などに設置されている視覚障害者のための道標です。今はどこでも見かけますが、岡山市の盲学校近くの原尾島交差点に初めて設置され、57年が経ちました。この交差点の歩道の一角には「点字ブロック発祥の地」としてモニュメントも設置されています。
今年も3月18日は、点字ブロックへの理解を深めるために視覚障害者と中高生が一緒に町中を歩くというイベントが開催されました。多くの人に点字ブロックを理解してもらうために、記念日には毎年イベントを行っています。
交差点は、岡山後楽園の近くにある原尾島交差点です。この交差点は、国道250号と県道402号線および市道が交わっているので交通量も多く、岡山市内の事故多発交差点のワースト5に入っているほどです。(日本損害保険協会調べ)
点字ブロックの歴史が刻まれた碑です。碑文に書かれているのは
” 1961(昭和36)年ごろ岡山市で自営業を営む三宅精一氏はある日「交差点で白い杖を持った眼の不自由な人が車道を横断する姿に目を留めた時、横を車が勢いよく走り去った」という危険な場面に遭遇した。以後「視覚障害者の安全歩行の課題」が頭の中を占めるようになる。当時の社会福祉法人日本ライトハウス(視覚障害者 の自立を支援する全国組織)岩橋英行理事長との出会いを契機として「人間としての自立」そのための「単独安全歩行を可能にするシステム」を日本全国へ展 開する意志を固めた。名称を「点字ブロック」と名付け、地元ユーザーの意見を聞きながらコンクリートブロックの表面に突起物を配列させ、その形状・配列 数・寸法など多種多様の試作を繰り返した。
1967(昭和42)年3月18日当時岡山県立岡山盲学校の生徒が登下校の際利用していたここ旧国道2号線(現在地)の横断歩道に230枚の点字ブロック が敷設され完工渡り初め式が行われた。それは日本初また世界初の記念すべきことであった。
同年誕生間もない点字ブロックは、世界盲人福祉協議会実行委員会に出願した岩橋氏により世界各国の専門家に紹介され、多くの称賛の言葉をもらう。
しかし当時高度成長のまっただなかにあり障害者を社会的に援助する土壌が未整備だった日本では、その普及活動は困難を極めた。
1970(昭和45)年旧国鉄が大阪府我孫子町駅にプラットホーム第1号の点字ブロックを敷設して希望の灯が見え始めた。同年東京都が高田馬場周辺に点字ブロックの敷設を中心とした整備を行うことを決定して地方都市へ連鎖的に広がっていくこととなる。1973(昭和48)年の石油ショックで高度経済成長に一気にブレーキがかかり、福祉型の低経済成長へという価値観の転換が更に救いの神となる。
2000(平成13)年点字ブロックのJIS化が実現する。誕生から完成に至る歴史は日本の福祉理念の変遷期とも重なり、実に34年の歳月を要する偉業であった。 ”
岡山で点字ブロックが初めて敷設され、9年後にやっと他県でも導入され始め、普及していったわけですね。
当時の点字ブロックも紹介されています。見慣れた黄色いブロックではなく、グレーだったのが意外でしたが、三宅精一氏が、2年の歳月と多額の私費を投じて考案したのが展示してある点字ブロックです。
現在の点字ブロック。最初は丸い突起物のついた点状ブロック(警告ブロック)だけでしたが、必要に応じて溝のついた線状ブロック(誘導ブロック)も敷設されるようになりました。色もはっきりとした黄色になっています。
発祥の地から操山に向けて住宅街を進むと「岡山県立岡山盲学校」があります。点字ブロックも交差点から住宅街を通り、校内へ通っています。
最近は景観への配慮が高まり、周囲との調和する色合いを優先し、歩道に溶け込むような同系の色や材質の点字ブロックが増えているそうです。「点字ブロック発祥の地」といわれる岡山市内でも、一昨年リニューアルされた岡山城は、グレーの点字ブロックを敷設したことによって物議がかもしだされています。周囲と同系色のブロックでは、弱視や色弱者の人たちには識別が困難で「溝かと思って飛び越えたら垣根にぶつかった。」という声もありました。視覚障害者を安全に導くための点字ブロックの役割と景観配慮について改めて考える時なのかもしれません。