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濠川は文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の指月伏見城築城にともなう建築資材を運ぶため、
宇治川の流路改修工事により宇治川派流として作られました。
江戸時代の濠川沿いには問屋、宿屋、酒蔵が建てられ、米や薪炭、できた酒などを運ぶ小舟が往来し、
総称して伏見浜(港)と呼ばれていました。(4月10日撮影)
「寺田屋」は濠川のすぐそばにある船宿です。
ここは、坂本龍馬が襲撃された「寺田屋事件」の舞台でもありました。
慶応2年1月(1866年)、その日宿泊していた坂本龍馬や長州の三吉慎蔵らは、
幕府伏見奉行の捕り方百数十人に囲まれていました。
いち早く気づいたお龍は、風呂から裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり、龍馬達に危機を知らせました。
踏み込まれた龍馬らは、拳銃や手槍を用いて防戦。
辛くも脱出して材木屋に隠れ、伏見薩摩藩邸からの救援で 九死に一生を得ることができました。
その後、龍馬は伏見薩摩藩邸にしばらくかくまわれていましたが、
右手の傷を癒やすため寺田屋浜から三十石船に乗り、お龍とともに九州の霧島へと旅立ちました。
濠川沿いの寺田屋近くには龍馬・お龍の銅像があります。
いわゆる、日本初の新婚旅行ともいわれています。
坂本龍馬の生きた時代、濠川はほぼ今のような水路だったそうです。
濠川両岸に咲く桜は、ほとんどがソメイヨシノです。
京都市内の桜スポットと同時期に見頃を迎えます。
濠川は川や池とは違い、水路ならではの
ゆっくりと流れる水と桜の風景が広がっています。
坂本龍馬を思う「伏見・濠川」の桜……
今年も見事な桜景色です。