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パリ・オリンピックを前にした2024年5月2日~6月29日の期間、パリ市内にあるパリ日本文化会館において国際交流基金、パリ日本文化会館、国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会が主催して「丹下健三と隈研吾展 -東京大会の建築家たち」が開かれています。丹下健三と隈研吾という、過去2回開かれた各オリンピック東京大会(1964年および2020年)を代表する建築家に焦点を当てた特別展です。
1964年と2020年に開かれたオリンピック東京大会における建築のレガシーといえば、前者でまず思い浮かべるのが丹下健三の国立代々木競技場、後者では隈研吾の国立競技場ではないでしょうか。
展示の前半部分では、それら二つの競技場に焦点を当てながら、前者は石元泰博、後者は瀧本幹也という各写真家がモノクロで撮影した作品などを通して、二つの建築の違いや共通性を、キュレーターである千葉大学の豊川斎赫准教授が探っています。
丹下健三の活動期は第二次大戦後で、用いた素材は主にコンクリートです。代々木競技場以外には、年代順に広島平和記念公園、今治市庁舎と公会堂、東京カテドラルなどを生み出しました。
丹下はフランスの建築家ル・コルビュジェに憧れ、絶えず追いかけていたそうです。たとえば今治市庁舎のデザインは、ル・コルビュジェがインドのアーメダバードに建てた繊維工業会館からインスピレーションを受け、そのデザインを地震国である日本において、取り組もうとしたものではないかとのことでした。
一方で隈研吾は、木、石、ガラスなどさまざまな自然素材をダイナミックに用いてきました。
国立競技場のように木を用いた建築のなかでも特に美しいとされる建物が、直線的な屋根が特徴である栃木県那珂川町にある馬頭広重美術館。青木藤作氏という地元の実業家が収集した歌川広重の作品が、青木氏の死後に遺族から当時の馬頭町に寄贈され、それを展示するために建てられた美術館です。
スコットランドのダンディにある美術館V&Aダンディは、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムの分館。石のように見えるプレキャストコンクリートを使った建築で、同じ隈研吾作品でも、馬頭広重美術館とは雰囲気が一変します。
次に、マクロ的な視点から両者の建築を見ていきます。展示室一面に広がるのが、日本から船で運んできた東京都中心部の巨大ジオラマ。国立代々木競技場と国立競技場の位置関係がよく分かります。
丹下は、都市を貫く軸線を大切にしていたとのこと。明治神宮の軸線をまっすぐに下ろした先に、代々木競技場が配置されています。一方で、隈の国立競技場は巨大建築物ではあるが、高さを極力抑えたデザイン。都市における双方の建築への意識が垣間見えます。
もう少しスケールを小さなものにしてみましょう。両者が設計した住宅を例に取り、展示が展開されています。丹下健三と隈研吾は、年齢で40歳差。時代も大きく異なっていますが、日本建築の代表作である京都にある桂離宮を媒介として、さまざまな共通項を探れるそうです。
たとえば丹下が自ら設計した自邸。これは桂離宮の屋根部分を省いて比べてみると、驚くほど相似関係にあります。正面から見た際のデザイン、丹下邸のピロティと桂離宮の高床構造などです。さまざまな自然素材を建築に用いることに挑戦した隈研吾においても、豊川准教授は中国の北京に建てた竹屋をはじめ、桂離宮との共通性を感じることができると言います。
これら両者の建築をさまざまな角度から見た後は、フランスとのつながりについての展示です。
隈研吾については、マルセイユに1982年に建てられたマルセイユ現代美術センター、現在建設中のアンジェのサン・モーリス大聖堂正面の多色彫刻を保護する構造物や、オリンピックに合わせて建築が進むサン・ドニ・プレイエル駅の模型が並びます。
丹下健三については、ル・コルビュジェの家具デザイナーとも言えるシャルロット・ペリアンのテーブルおよびラグに合わせてデザインした椅子の展示が。加えて、1959年にフランスの建築雑誌社からの賞を受賞した際に、セーヌ川で行われた船上パーティーにおけるスピーチ原稿や、同じく受賞しながら授賞式には参加はしなかったル・コルビュジェと丹下とのやりとりの手紙など、60年前の日仏交流のアーカイブ展示で締められています。
「この60年に建築はすごく発展しました。しかしモノクロで写すことで、たくさんの人が集まる建物は何が大切なのかが分かる。浮き出る共通項と違いを感じてほしい」と豊川准教授。パリ・オリンピックを控えた時期のパリ日本文化会館らしい企画展です。