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皆さんგამარჯობა(ガーマルジョバ:こんにちは)!
先日初めて、ずっと気になっていたボルジョミ博物館を訪れました。
ボルジョミに住んでいるのに、いちばん訪れるべき博物館じゃないか!
とは思っていたのですが、機会がなく訪れたことがなかったのです。
しかし先日、ふと休日に「行ってみよう!」と思い、ようやく訪れてきました。本日はそんなボルジョミ博物館を紹介します。
ボルジョミ博物館は、ロマノフ王朝の別荘邸として実際に使用されていた建物が現在博物館として使用され、1938年にオープンしました。博物館は町の中心地にあり、バスステーションから徒歩8分ほどで到着します。
博物館はボルジョミには珍しい、ゴシック調の洋館ですので、すぐに見つかりますし、ゴシック調の建物特有の尖頭アーチの屋根をもっているので、遠くからでもすぐ見つけることができますよ。
なぜゴシック調の建物としたかというと、当時のこのエリアを支配した総督が好み、1890年にドイツ人建築家Schweierに作らせたのだそう。
さて、入場料はお手軽の5ラリで、外国人でもジョージア人でも同様の価格になっています。外国語による館内説明もありますが、30ラリで提供されています。
筆者はガイドなしで入りましたが、展示されている物が約3万8000点と非常に多く、また重要な展示には英語説明もしっかりついているので、ガイドなしでも楽しめました。
受付の方も優しく接してくれ、簡単な英語であれば通じます。
さて前述のとおり、博物館には石器時代から20世紀までの約3万8000点もの展示物が展示されており、1階は石器や青銅器などの遺跡、2階はロマノフ王朝が所有していた骨董品や、さまざまな時代の民芸品、ボルジョミウオーターにまつわる品々、当時の写真、3階はボルジョミの自然と分かれて展示されています。
また廊下や階段の踊り場などにも多くの有名な絵が展示されています。
1階の遺跡コーナーでは、紀元前500〜100年頃のボルジョミエリア(Tabatskuri/タバツクリ)にあった、古代集落跡の展示もされています。
ここの集落跡からは、紀元前800年前にはすでに人々は石の粉砕機で穀物を潰し、土釜でパンを焼いていた形跡が分かっているのです。またそのパンの粉砕機をさらに発展させて、紀元前600年前には銅や青銅鉱物が擦り潰されていた形跡が残っており、それにより、このエリアでは紀元前600年前には鉱石加工の技術が開発されていたことも分かっているのです。
2階には、多くのロマノフ王朝の所有物であった骨董品があります。そのなかには日本の富士山が描かれた、漆器のお盆もあり、筆者は非常に驚きました。ドイツのマイセン食器に、中国の壺、日本の漆品、中東のガラス細工など、当時の王朝の優雅な生活が思い浮かびました。
またボルジョミウォーターにまつわる多くの写真や、当時のデザインのボトルラベルなどもあり、今も人気の中央公園内のエカチェリーナの泉(水の試飲が出来る中央公園内のエリア)が、ソ連当時はいかに人気であったかなどもよく分かります。
筆者はソ連当時のボルジョミウォーターのデザインがレトロでかわいらしいなと思ったと同時に、病気の治癒を目的に水を飲む人が多かったからか、どこか薬品感が強いなという印象も受けました。今のボトルデザインとは大きく違いますね。
またフランス語のボトルもあったりと、ヨーロッパ中でも人気だったことがうかがえます。
また昔の耕作機や武器、洋服なども展示されており、本当に圧巻の展示物です。
そしてまた再び絵画が多く掛かっている階段を上り3階へ行くと、そこはボルジョミの自然コーナー。
数多くの鹿の角の標本や、動物の剥製などが展示されています。”バクリアニ”という名の、ジョージアに生息する珍しい白キツネの剥製もあり、再びその数に圧倒されます。
筆者も頭上に並ぶ鹿の角の数に驚き、「すごっっ、、」と声を出してしまったほどです。
今回博物館に行く前は、田舎の小さな博物館だしなぁ、古そうだしなぁ、とあまり期待せずに行きましたが、実際は”もっと早くに来ればよかった!!”と思ったほどの大満足の展示でした。
筆者は、ボルジョミ隣町でトルコ国境の街"Akhaltikhe(アハルチヘ)"の博物館は訪れたことがあったのですが、そこでも青銅加工技術について多くの展示物があり、当時の技術力の高さが説明されていました。
今回ボルジョミ博物館を訪れ、このエリア一体が青銅や銅加工で非常に優れており、それにより繁栄していたことがあったのだと知り、筆者としてもより深く学んでみたいなぁと思いました。
"Akhaltikhe"に行った様子もまた別の記事で紹介していこうと思います。