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こんにちは。岡山特派員のmamiです。
出雲の神話を訪ねる旅は、ヤマタノオロチを退治した英雄「須佐之男命(スサノオノミコト)」に関わりが深い「須佐神社」です。
ヤマタノオロチを退治し、出雲の地が気に入ったスサノオノミコトは、稲田比売命(イナダヒメノミコト)を妻にし、多くの子どもが誕生します。そのなかのひとりが大国主命(オオクニヌシノミコト)といわれています。
そして、『出雲国風土記』では、スサノオノミコトの終焉の地と伝わり「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言い「須佐」と命名し、「御霊鎮めの社」と伝わっています。
本殿です。祭神はスサノオのほか、妻の稲田比売命(イナタヒメノミコト)、その両親、足摩槌命(アシナズチノミコト)、手摩槌命(テナヅチノミコト)のオロチ退治に登場する四神が祀られています。
本殿の裏にまわると森が広がり、「大杉さん」と呼ばれるご神木がありました。高さ30m、樹齢1300年といい大空に向かってそびえています。大きいけど見上げてもてっぺんが見えません。
この森は明るく、とてもすがすがしい風が、心地よく吹いてくるので風の方に降りかえると、三穂津比売命 (ミホツヒメノミコト)、事代主命(コトシロヌシノミコト)を祀る「三穂社」がありました。ミホツヒメノミコトはオオクニヌシノミコトの后でコトシロヌシノミコトは息子になります。
御朱印をいただきました。こちらの宮司さまは、アシナズチ、テナヅチノミコトの末裔で、須佐国造に任じられ78代目にあたるそうです。
出雲には神代からつながる出雲国造、日御碕神社等々、天皇家よりも古い家系がいくつかあります。
~京都人が「先の戦」といえば、応仁の乱のこと~はよく聞く話だけど、出雲の人にとっては「国譲り神話」が「先の戦」でしょうか? 古事記には、出雲が話しあいによって国を譲ったとあります。しかし、大切な自国を「出雲大社」の建立と引き換えに平和に譲り渡すなんてあり得るのでしょうか?
神楽殿の横に「塩の井」という井戸があります。スサノオノミコトがこの水で土地を清めたと伝わっています。
この湧き水は稲佐の浜に繫がり潮の満ち引きに合わせて、湧き出る水量が違うといいます。井戸はこんな感じで浅く、左側へ井戸水が流れ出て柄杓で汲み上げられます。少し飲んでみましたが塩分は感じられませんでした。稲佐の浜からこの神社まで24㎞もありますものね。
神楽殿がありますね。秋には出雲神楽の奉納公演を特別に鑑賞することができるそうです。以前行ったことのある「日御碕神社」にもありました。神楽は神道の神事の際、神に奉納するために舞いますが、出雲の人々にとっては娯楽のひとつになっています。
須佐神社とは、道路を隔てて反対方向の森にアマテラスオオミカミを祀る天照社があります。
拝殿がまだ新しいです。須佐神社は、人が途切れることなく訪れていましたが、こちらにお参りする人はあまりいません。やはり出雲の人には、アマテラスオオミカミは人気がないのかな?
神社に沿って流れる須佐川に架かる宮橋を渡った先に「スサノオ館」があり敷地内にお蕎麦屋さんがありました。
出雲といえば割りこ蕎麦ですよね。お天気のいい日だったので冷たいお蕎麦の喉越しが最高です!
ここのお蕎麦はとてもおいしく、私が出雲でお蕎麦をいただいた中なかはベスト3には入りますよ。