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皆さんგამარჯობა(ガーマルジョバ:こんにちは)!
先日ボルジョミ近郊の町に行った際に、道端に大量のパン屋さんを見つけました。
そのパン屋さんたちは、首都近郊や他のエリアでは見たことがあまりなく、どうやらボルジョミやこの近郊にしかないパンのようで、筆者は興味本意で購入してみました。
今日はそのパンについて紹介します!
このパンの正体は、ნაზუკი(Nazuki:ナズキ)といい、ボルジョミ近郊の町、ハシュリ(ხაშური:Khashuri)やスラミ(სურამი:Surami)の町でよく見かけます。
ナズキは実際ジョージア中でも、ワインで有名なジョージア東部のカヘティ地域(კახეთი:Kakheti)や 南西のメスへティ地域(მესხეთი:Meskheti)、トビリシ近郊でも販売されているようですが、店が集中して存在するのはボルジョミ近郊の町スラミの町のみです。
ソ連崩壊の1991年以降、ジョージアは急激に経済が悪化し、国全体が危機に瀕していいました。その状況はソ連時代最後の年である1990年のジョージア経済と比較して、崩壊後1995年は国内総生産量も78%減となり、大恐慌時代のアメリカの3倍の打撃といわれている時代でした。
独立後の旧ソ連国やポスト社会主義国では、経済の落ち込みはよくみられたものでしたが、ジョージアの経済危機は20世紀最後の数年と限りはありましたが、他国と比較して非常に大きな危機でした。
そんな時、ジョージア国民はジョージア西部と東部を結ぶスラミの交差点(ジョージア国の中心部)に次々と小さな窯焼きオーブンを設置し、このナズキというパンを焼いて販売し始めました。
このナズキは当時ジョージア人の多くの命を救い、スラミにある1kmの道路に24時間手作りのナズキを提供する店が集まっていたその風景を「ナズケビ(ნაზუქები:Nazukebi *ebiを単語最後につければ複数形の意味や、それらを売る人という意味になる)」と呼ばれました。
さてこのナズケビは、当時と変わらずスラミの町や近隣の町への道路で多くみられます。数mの間隔でナズキが売られ、道路脇には大量の手作り看板が埋め尽くします。
当初歴史的背景を知らなかった筆者は、交通の要所として多くの車が行き交うこの場所でパンとコーヒーを売って、運転手さんへの商売をしているのかと思っていましたが、ソ連崩壊後は交通の要所という意味では、スラミでの販売は、首都で売るよりも効果的に多くのジョージア国民に食糧が行き渡ったのだなと思いました。
さてこのナズキ、看板で見るとパンというより、硬そうなナンというイメージでした(看板が粘土で作っているからか?笑)。
実際筆者は購入してみましたが、イメージ通り、少し硬いパンでした。(意外と再現度が高かった!笑)
どうやら比較的ふわりとしたハチャプリと異なり、釜の中に入れた後に蓋を閉め燻製にするため、全体的に茶色となり、また硬めのパンとなるようです。
しかしこのパンは硬いといっても、サクサクのレーズンパン!(ナンのようなもの)ほんのり甘くておいしいのです。
この”ほんのり”という味覚はジョージアでは珍しく、しょっぱいや濃い味つけが多いジョージアにおいては、ほんのりレーズンの甘さがあり、まったくしょっぱくなくおいしい。
筆者が購入したお店では1つが3ラリで、ひとりでは大きく分けながら少しずつスープなどと食べたら十分な量でした。
このナズキは歴史的に経済危機時代に重宝されたパンであるため、使用される小麦粉も質の低い小麦粉で作られるそうで(今ではその必要はありませんが、伝統的なナズキはそのようです)、また薄味すぎる(日本人にとってはちょうどよいおいしさですが)ために、今の世代のジョージア人にとっては好き嫌いが分かれる食べ物のようです。と
ナズキを販売しているのは道端なので、マルシュルトカなど乗合バスに乗っている際に購入は難しいですが、タクシーや車に乗っている際はぜひ立ち寄ってナズキを購入してみてください。
ナズケビの前で窓を開ければ、ほんのり甘いレーズンの香りが漂い、お腹が空いてきますよ!